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すまいりすとすまいりすと

今月の「輝き!すまいりすと」Vol.3 2007年1月
 佐久間恭子(さくまきょうこ)財団法人竹林病院常務理事(元いわき泌尿器科総婦長)

常盤先生との出会い

東京で8年間看護婦として働いた後、主人の転勤でいわきに転居してフリーの身だった昭和56年、いわき泌尿器科の開院を翌春に控えた10月頃だったと思います。新規開院に向けて看護婦を募集しているということを知人から聞きました。

当時勤務しておられた福島労災病院泌尿器科の外来に赴いての面接、それが常盤先生との出会いでした。

お若くて、とても柔和な第一印象、「この先生となら、一緒にお仕事をさせていただける」、そう直感しました。既存の施設ではなく、新たに誕生する医療機関だということにもひかれましたね。

以前看護婦として仕事をしていた頃の専門は整形外科、これから勤めることになる泌尿器科や透析については何の経験もないままでの決心でした。

いわき泌尿器科、誕生

開院に向けて、私自身は人工透析を勉強するために1ヶ月間の研修を受けました。

初代の事務長や第一期生となる看護学生が中心となって準備がすすめられて迎えた昭和57年3月20日、お披露目となる開院式を行ないました。看護学生5名、看護師5名、事務職2名、常盤先生を含めて総勢19名でのスタートです。

開院初日、外来患者さまはいらっしゃったかしら(笑)。…当日のことを良く思い出せないほど、本当に夢中だったのですね。

開院当時の様子

その頃の施設は…。玄関に自動ドアはなく、待合室も今のように広くありませんでした。受付も現在のようなカウンターではなくて、窓口といった感じのもの。透析19床でのスタートでした。現在ある施設の姿は、増築そして増床と少しずつ大きくなってきたものです。

開院当初、入院を必要としておられる患者さまが4-5名、外来の患者さんはそれこそ1日数名ずついらっしゃる程度でした。地域そして患者さんをとても大切になさる常盤先生の診療姿勢が次第に評判を呼び、患者さんやご家族からの口コミと紹介が広がって、開院からちょうど1ヶ月で、1日30名の患者さんが来院くださるようになったのです。

私は外来を担当、そして病棟と透析というチーム編成。みんなの一体感が強く、自分が婦長といったような意識はありませんでしたね。准看学生だった一期生たちを含めて、みんながいたからこそここまでやってこれたのだと思います。その頃のメンバーのうち5、6名は、今も一緒に仕事をしています。

初めての手術

開院からまだ日も浅い5月5日、膀胱の手術でした。

今のように滅菌されたガーゼやドレーンがあるわけではないので、ひとつずつ手作りでガーゼを折ったり、1本1本消毒したりと、いわき泌尿器科にとって初めての手術を前に、1週間から10日ほど病院に寝泊まりして、入念な準備を重ねました。

そのときの先生のお心持ちを今振り返ってみると…。昼間は外来や透析をこなしながら入院中の患者さんを病棟で診察、さらに外来終了後の往診と、おひとりでいくつもの役目を果たしながらのご準備、それはさぞ大変なご苦労だったと想います。

当日の見事な成功に、「うちもこんな手術ができるんだ」と全員が感激。私たちにとってとても大きな自信になりました。

「夢」

「浜通り一帯に透析施設を作るんだ」。

常盤先生が抱いておられる夢は大きかったですね。外来の患者さんが1日2、3名の頃からおっしゃっていたのです。本当にそんなことが実現するのだろうか…と、なかば私たちは半信半疑だったものです。

でも、そうした夢を熱く語る先生の言葉には、「本当に実現するかもしれない」と感じさせる、不思議な力が秘められていました。

週に3回の来院が必要な透析患者のみなさま、なかでも、湯本以遠から通院なさる患者さんのご負担を軽減しようと、スタートからわずか4年、ふたつ目の施設となる泉中央クリニック、そして続く各クリニックの誕生をはじめとして、ときわ会の歩みの場面ごとに、「よし、次はこうするぞ」という夢のひとつひとつを、先生は必ず形にしてこられました。

「先生の夢を信じて良かった、ついてきて良かった」。面接のときの直感は正しかったのです、ね!

常盤先生、その人物像

1日24時間、1年365日、仕事に対する情熱を決して絶やされませんね。川口先生が院長として常勤なさるようになるまでは、クリニックの2F、本当にベッドだけがあるような小さな部屋(現在は手術室の一部)に泊まり込んで仕事をしておられました。

職員に対しても、仕事中はとても厳しくて怖い、叱られる場面ではそれこそ鉛筆が飛んでくるほどでした。でも一旦仕事を離れると、本当に優しくて、私たちひとりひとりを大切にする思いやりの深い先生です。マナーも身につけさせなければと、若い看護師や職員をよく食事にご一緒くださったり、と。

また、みんなに見聞を拡げてほしいという思いで、以前は毎年のように行なわれていた海外への職員旅行。最近では実施されなくなりましたが、10数年以上にわたって続きましたね。ハワイやグァム、私自身は韓国や香港への旅行が好きでした。現地では、美味しいレストランへの案内など、常盤先生にまるでツアーガイド役を務めていただいたりして(笑)。

以前に比べて職員数もはるかに多くなった現在、そういった体験は次第に貴重なものとなってきましたが、常盤先生の人間味豊かな魅力を身近に感じながら、お仕事をご一緒させていただくことができた私たちは、本当に幸せだと感じています。

忘れ得ない想い出

勤務しながら准看護学校を卒業した学生たちは、更に高看を目指して進学するため、しばらく病院を離れるのですが、時を経て、ときわ会奨学生の第一期生たちが高看を卒業し、再び病院に戻ってきてときわ会の中堅の職員として職務に復帰し、一緒に働くことになった時のことは今でも感慨深い想い出となっています。

それと平成9年10月、福島県内で初めてとなった生体腎移植手術の成功ですね。常にトップレベルの医療を提供することを重要な使命としてきたときわ会の快挙を、心から誇りに思いました。

平成14年 いわき泌尿器科 開院20周年記念祝賀会にて

未来に向けた想い

地域のみなさまに最高水準の医療を提供すること。ひととのつながりを大切にする常盤先生のお人柄。そして、「ありがとう」という感謝の気持ち。

ときわ会の理念である、「笑顔とまごころ、信頼の絆」。まさにそのものです。

「絆」という言葉が私は大好きです。人間ですもの、助けたり助けられたり。実は周囲の皆様から生かされているんですよね。その一瞬一瞬を精一杯に頑張れば、どんな時でも大丈夫、必ず道が開けるというのが、私の人生のモットーです。

一緒に働く職員の全員が、自分たちの医療技術やサービスの実践にさらに磨きをかけながら、高い志や誇りを持って、家族や知人はもちろん、地域や社会のみなさまに対して、ひととしての「絆」を大切にした仕事を続けていきたいと思います。