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渡辺千秋(以下:W)、地元四倉(よつくら)出身、現在好間(よしま)に在住。4歳の息子と1歳の娘をときわ会の託児室に預けて、いわき泌尿器科透析室で働いています。
以前、祖母が入院していた時にとても良くしてくれた看護師さんの姿に感銘を受けたことがあり、そのことがきっかけで、自分も看護師になることを決意。ひとに感謝される仕事って、素晴らしいなぁ…と。高校卒業後、「ときわ会奨学生」として、いわき泌尿器科で働きながら、准看護学校に通って資格を取得しました。
高久泉(以下:T)、遠野(とおの)で生まれ育ち、現在湯本在住。渡辺千秋と同じ高校そして准看学校の卒業生、同期でときわ会に就職。まもなく満1歳となる息子を託児室に預けて、いわき泌尿器科透析室で勤務しています。
看護師という進路の選択に、これといった特別なきっかけはありませんでした。高校の卒業に際して、進路指導室でときわ会の奨学生制度を紹介され、「お金をもらって働きながら資格がとれる」ということに惹かれました。
(W)・(T)「これはいい!」と思いましたね。
看護師を目指す学生にとって、素晴らしいバックアップだと思います。専門学校や大学に進学しようとすると、まず入学金を親に出してもらって、授業料や生活費用の仕送りをしてもらうなど、決して小さくないお金がかかるのが普通。制度の利用を希望して奨学生に選ばれた自分たちは、親にそうした負担を一切かけないで看護師になることができたのです。
学科試験と面接、自分たちと同期で応募した学生たちは、全員「ときわ会奨学生」として看護学校にすすみました。
(W)大変でしたね。ゆっくり寝る暇もないくらい!看護学校の授業がある日(月・水・金)は、朝学校に行って夕方まで授業を受け、学校が終わってから病院に一旦戻って、1-2時間仕事。帰宅してから学校の勉強や宿題。授業がない日は朝から夕方まで病院で仕事、帰宅後に勉強。そうした毎日でした。
(T)私は最初実家から通っていたのですが、バスが少なく不便なところだったので、途中でときわ会の寮に入りました。
(W)・(T)毎日ではなかったけれど、交代で夜勤をすることも。掃除やベッドメイキング、物品補充といった仕事はもちろん、先輩の看護師と一緒にその日の目標を決めて、「今日は血圧の下がりやすい患者さんを中心に」といったテーマで指導を受けたり。先輩から様々なアドヴァイスをもらいながら、知識としての勉強とともに、看護師としての心得について実地の経験をつむといった日々でしたね。
(W)何度もありました!(笑)「私、看護師になるのをやめたいんだけど…」と母親に相談したところ、「じゃやめれば」と、突き放すようにあっけない返事。「准看学校に行きたくても、叶わなかったひともいるんだよ」。試験の合否や経済的な事情など、目指していたとしても行けなかったひとたちの存在。自分たちは、"選ばれて"学校に行かせてもらっているのだから頑張らなければ…。そう考えて、思いとどまりました。
(T)私はやめたいと思わなかったような気がします。気負いすぎずに毎日を過ごすようにしていたのかも知れません。もちろん色んなことがありましたし、いやだと感じるような場面もあったと思うのですが、そうしたつらさのなかでも、千秋をはじめとして周囲の同僚たちとのコミュニケーションを通じて励まし合ってきたというか…。
(W)・(T)たしかに、自分ひとりだけという状況だったら続けられなかったかも知れないよね。同期の仲間や先輩たちとの和気あいあいとした雰囲気が支えになっていた気がします。
(W)准看学校の卒業後、高看学校の受験に失敗、日立市にある専門学校に入学しました。日中はいわき泌尿器科で准看護師として働き、夕方になると電車で学校に通い、夜に戻ってきてと、資格取得を目指す道なかば、1年半でギブアップ…。それまで学校の入学金ほか、さまざまな支援をしてくださった常盤理事長に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。m(_ _)mそれ以来、准看護師として勤務しています。
(T)私はいわきを離れて東京の専門学校に2年間通い、都内の医療機関で実習。卒業後にいわき泌尿器科に戻って仕事を続けながら幾度かのトライを経て、一昨年に資格を取得。正看としての仕事は2年目になります。
(T)病院って、人間にとって一番喜怒哀楽の出やすいところだと思うんですよね。患者さんや医師から叱責を受けたりする緊張感や、人間の気持ちから発せられる日々のリズム、そうしたものが自分には合っているのだと感じています。
(W)透析をお受けになる患者さんというのは、月・水・金あるいは火・木・土といったように、お会いする方が決まっているんですね。「千秋ちゃん、このあいだは会えなくてさみしかったよ」とお声をかけていただいたり、お困りのことについてのご相談をしてくださるなど、「患者さんから信頼されている」と感じる瞬間が何より嬉しいですね。
(T)どういった仕事にもきっと同様のことが云えると思うんですけど、看護師という仕事に過大なあこがれを抱きすぎているひとは危険かな。
それと患者さんに対してだけではなくて、自分の廻りのひとたちのことを"想う気持ち"が大切。
単にそのひとのことを好きだからというのではなくて、大切なひとであるからこそ厳しい言葉が必要な場面もあるということをきちんと理解できることが必要だと思います。"真に"相手のことを想うということ、ですね。
(W)怪我をして自分の血を見るだけで卒倒してしまうというひと以外であれば、医療いう現場の様々な特徴にはやがて慣れるものです。ごはんを食べている時にテレビで手術のシーンが映ってもOKという人はもちろん大丈夫です、ね。
(W)その日の気分次第で仕事への対応がコロコロ変わるというようなひとは、一緒に仕事しづらいですね。気分の良い日とそうでない日によって、そのひとの扱い方を周囲が変えなくてはならないのはダメだと思います。
(T)後輩の立場に立って、親身に話を聞いてくれる先輩の存在は重要ですね。上下の関係を振りかざすのではなく、チームとしてのつながりを大切にして相談に乗ってくれるような先輩は部下の士気を高めてくれます。
(W)以前は自分たちがまだ学生だったからなのかもしれないけれど、暖かい気持ちで叱ってくれる先輩が多くいてくださったような気がします。
(T)今、私も現場における部下の教育という立場を担っているのですが、技術面の習熟ではなく、その前提になる積極性や人間性、あるいは礼儀といった点にはとても幅があって、「ほめて伸ばす、叱って育てる」どちらが正しいのかということが、自分にとっても大きなテーマです。
(T)私が新人の頃、いつも先輩から厳しく指導されている様子を良くご存じ(で冗談好き)の患者さんから「お前、あの先輩看護師、きらいだろ」と冷やかされたことがありました。もちろんその先輩看護師がいない場で、暖かな目でにっこりと、です。緊張しっぱなしの新人看護師として、患者さんから励まされる想いでいっぱいでしたね。
(W)透析患者さんのおひとりに、ちょっと任侠がかった威勢の良い方がいらっしゃったんです。他の看護師がうまく対応できないような場面でも、どちらかというとサバサバした私の性格を気に入ってくださったのか、「おぅっ、千秋を呼んでこい!」、何かお困りのことがあると「千秋!」、と声をかけてくださるんです。きっとひとりの人間として信用してくださっていたのでしょうね。
…後にその患者さんがお亡くなりになったときには、奥様から「お線香を上げにきてあげてね」とお誘いを受けて、お伺いさせていただきました。
(T)とても心強いです。私は産後8週間で仕事に復帰したのですが、一般にその時期の乳児を受け入れてくれる託児施設ってないんですよね、ふつう生後半年以上とか。私の場合、家でじっとしていることがとても苦手なので、そのタイミングで仕事に戻ることができたのは本当に嬉しかったです。託児室のおかげで、職場の仲間と一緒に過ごすことができていますし、仕事という時間があることによって、子供にもさらに愛情を向けることができます。仕事をしている瞬間は仕事だけに集中しているほどです、本当に。
ときわ会自身によって運営されている福利厚生施設(事業所内託児室)なので、生後まもない子供を預けられますし、体調が少し優れない時など、託児室から電話で様子を知らせいただいて、すぐにうち(ときわ会)の先生に診ていただいたり…。職員である私たちにとって何より安心ですね。
(W)そして月間1万円の利用料金、とても安いと思います。ふたり預けても1万円。「3人預けたら、全額免除にするぞ」と、理事長はおっしゃってくださっています(笑)。
職場の先輩にも子育て経験の豊富な看護師が多く、女性そして母親である職員として、自分たちは大切にされているなと実感しています。
(W)私の夢はずっと定年までやめずにときわ会で働くことです。「退職金、がっぽりもらうぞ!(笑)」
(T)学生として入った頃から、私たちによくお声をかけてくださった佐久間婦長(元/いわき泌尿器科総婦長、現/財団法人竹林病院常務理事)がすごく好きでした、そして今も大好きです。にこやかな微笑みをいつも絶やさず、部下にも他のスタッフにもとても優しくて。そんな佐久間婦長のような存在にいつか自分もなりたい、それが夢です。