ときわ会HOME > すまいりすと
地元磐城高校出身、高校ではラグビーをしていました。自分にとって命がけでやってきたことのひとつです。文武両道とは云いながらも、ラグビーは死ぬか生きるかのスポーツ、特に高校時代の3年間は本当に真剣に取り組みましたね。フォワード、我慢と辛抱のポジションです。
高校卒業後、栃木県にある国際医療福祉大学で4年間放射線科を専攻。渡邉敦(ときわ会医療ソーシャルワーカー)とは高校・大学とも同窓です。国家試験を受けて技士の資格を取得の後、会津中央病院で6年間勤務しました。
ときわ会へは、ホームページがきっかけとなっての転職です。その医療理念や高い専門性、インターネットを通じてときわ会という医療機関の活動を知ったうえで、実際にいわき泌尿器科を何度か見学、新村医師や小山スーパーバイザーにお目にかかってお話を聞き、新病院の立ち上げにもぜひ参画したいと入職を決意、現在勤務3ヶ月です。
子供の頃に体が弱く何度か入院したことなどもあって、もともと医療分野への漠然とした想いを抱いていました。高校の卒業に際して医療系を目指す志を、かつて大変お世話になった竹林病院(現:ときわ会提携医療機関)の半沢院長に相談したところ、放射線技士という仕事を薦められたのです。
その時点では具体的にどういった仕事なのか、その中身を充分には理解できていませんでしたが、信頼する院長からのアドヴァイスに沿って決めた進路です。
簡単にいうと放射線を扱うのが仕事。一番イメージしていただきやすいのはレントゲン、ほかにCTやMRI、放射線治療、核医学検査といった分野があります。ひとことでいえば検査をする専門職です。
もともと機械が好きなので、常に最新の機器を駆使して患者さんの病気を見つけるという使命はやりがいの大きなものです。それはまた同時に、技士ひとりひとりのスキルや眼力を発揮する余地が大きい仕事でもあります。
血液検査などと比べて放射線診断の特質は、画像によって確定診断ができるということ。どこが怪しいなという見当ではなく、わずか数ミリの小さな腫瘍でも発見することができるのです。
ただ技術の進歩によって機器の操作はしやすくなってきていますが、検査という分野は追求すればするほど奥が深いもの。単にボタンを押すという操作だけではなくて、あらゆる手段を組み合わせながら疾患を発見するエキスパートにほかなりません。
教科書を通じて得る知識はもちろん大切ですが、例えば学会での発表など最先端の研究に日頃から精通しておくことが必要だと考えています。
そしてもうひとつ。放射線技士による検査は、医師による指示のもとで行なわれるので、技士自身に相当高い知識が求められます。この技士に検査を任せたいと、ドクターから信頼されるということがとても大切です。
以前勤務していた病院では、病床数が1000ほどもあって診療科目も幅広く、ひとりの患者さんにかけることのできる検査時間も極めて限られていました。
撮るばかりで画像を充分に見る時間もないまま、ただ検査をこなしているという状況のなか、いったい何のために検査しているのかという強いジレンマ。大きすぎる組織、このままでは技士として成長できない。何かひとつの分野を極めたいという想いが自分のなかで次第に強いものになっていきました。
自分にとっての新天地であるいわき泌尿器科では、検査数が以前よりも少ない分、おひとりおひとりの患者さんに時間を注ぐことができています。患者さんのお顔を覚えられる、ご本人のお顔とお名前が一致する検査をすることができるようになりました。
そして検査ごとに、終了や追加の必要性についての判断、医師への上申など、積極的な役割を技士自身がになって遂行する検査の体制。その新鮮な驚きと充実感、そしてこれまで6年間の仕事への反省の想い。大きな病院では知識を得やすいなどのメリットもある一方、専門性という点では現在の仕事との間に大きな開きがあることを実感しています。
看護師などの仕事とは違って、私たち放射線技士にとって個々の患者さんに長時間接するということはあまりありません。
ところがある患者さんがご退院に際して、一生懸命に検査してくれたお礼にと、ご自身がお描きになった絵をプレゼントしてくださったのです。非常に嬉しかったですね、自分としては通常どおりに接していたつもりだったのに、です。その絵は、もちろん今も飾ってあります。
常に疑問に思うこと、そして追求することです。疑うというとなんだか悪く聞こえますが、検査画像から疾患を発見するすべての原点がここにある、そう考えています。
そして患者さんに対しては、優しすぎることのない優しさ、技士として自分の意見を云えるだけの信頼関係が大切。『笑顔とまごころ、信頼の絆』ですね。
本当にエキサイティング、楽しみですね。地域において多くのみなさまから信頼される新たな姿の病院が誕生することを確信しています。
そこに向けた様々な取り組みのなか、自分自身としては、放射線科としての体制整備を推進することが役割だと自覚しています。
放射線治療というスペシャルティ、最新鋭の機器を駆使することのできる技士のスキル、そしてチームワーク。検査業務そのものはもちろんのこと、放射線科全体として一層強いチームワーク、システマティックな組織運営、そうした未来志向の変革によって、現在の当会が持つ強みをさらに発揮していくことができるのではないでしょうか。
自分にとって新しい職場である、ときわ会いわき泌尿器科。その第一印象は職員のみんなが明るいということでした。スタッフ同士がほがらかに挨拶をする(以前の勤務先ではありえなかった)ことに驚きました。
前職時代には、泊まりや待機、日曜日の出勤などで、なかなかプライベートタイムがとれませんでしたが、現在は週のうち2日のオフをとれるのでその分リフレッシュすることができるようになりましたね。
そして、学生時代に出会った彼女。会津で勤務していた頃は栃木との間を毎月往復しての遠距離デート、恋愛が実って今年6月16日にめでたくゴールイン。作業療法士でもある奥様との新生活が8月にもスタートの予定。
新しい職場と人生の伴侶。幸せいっぱい、ダブルのおめでとうございま〜す!
会津にはフレンドリーなひとたちが多いと感じます、いわきから来た自分をとても暖かく迎え入れてくれました。冬に雪さえ積もらなければとても暮らしやすい街だと思います。
幕末から維新にかけての薩長に対する反感が今も根強いというのは俗説じゃないでしょうか、実際にはないですよ。現在では市をあげて交流しているほどですから。
母校である磐城高校や国際医療福祉大学、自分の後輩たちとはぜひ一緒に仕事をしたいと思います。
新病院の誕生を新たなステップに、未来に向けてさらなる成長を遂げるときわ会。ひとりの社会人としてのやりがいはもちろんのこと、技士としてのプロフェッショナルな力を存分に発揮することができる医療機関だと、自信を持って薦めたいですね。
海も近いし、ゴルフ場もいっぱい(笑)。ぜひみんなに参加してほしいぞ!
ラクビーはいまでもやっています。いわき市役所のチームに参加して、高校時代の先輩や同級生たちと一緒に楽しみながら…。
自分のモットーは、"NEVER TOO LATE"「挑戦は時を選ばず」。
人生は常に挑戦です。