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すまいりすとすまいりすと

今月の「輝き!すまいりすと」Vol.15 2008年1月
佐藤隆治(さとうりゅうじ):事務長 〜理想とする地域医療についての夢を、ときわ会の未来に重ね合わせました〜

ランナーズハイ

昭和30年8月、裏磐梯を抱く会津の北塩原村生まれ。夏はとても暑く、冬はとても雪深い郷里、喜多方ラーメンが有名ですが、酒や米も大変美味しいところです。

三男坊として誕生した自分は、長男や次男と違って親の手から放ったらかし、まるで野生児のように伸びのびと、そして奔放に育ちました。

小学生のとき既に160cmを超える身長でスポーツ万能、子供の頃から走るのが好きで陸上部に。50歳を越えた現在も2週間に一度10km、しかも平地ではなく山道をランニングします。薬師寺のある赤井岳を駆け上って往復すると、ランナーズハイというのでしょうか、走り込むほどに気分が良くなるんです。

ひとにはちょっとできそうのないことに挑戦したいという気持ち、そうした冒険心が自分のなかにずっと昔からあるような気がします。

米とたまねぎ、じゃがいも

山で生まれ育った自分は、子供の頃、猪苗代湖が海だと思っていました(笑)。海の向こうには違った世界がきっとある、そんな想いから船乗りになることを志し、船員を養成するための学校、富山商船高等専門学校に進学。でも日々の訓練が続くなか、自分の世界とは何かが違うぞという違和感を覚え、田舎に戻ることを決心。中学校時代の恩師の力添えを得て、地元の県立高校に編入することができました。

高校卒業後、当時新設されたばかりの東京国際大学に進学。授業料が免除になる特待生制度があるというので両親が大喜び、でも入学してみるとやはり自分には合わない。すぐにやめて、自分の力で生きていくための人生勉強が始まりました。

新宿西口の中華料理店でアルバイトをしながら、親から米とたまねぎ、じゃがいもを送ってもらう生活。自分が理想とする生き様への渇望、その想いの実現には資格の取得が一番だと考え、東京電子専門学校の医療電子科に入学。新しい分野の技術者という将来性に惹かれたのです。

こんなに飯を喰えるなんて、すごい!

2年を経て卒業、虎ノ門病院の透析技士への道を目指して応募したのですが、試験直前になってその年の募集そのものが中止、あこがれていた進路がなくなってしまいました。

その後、一緒に学んだ友人とふたりで出かけた東北旅行。その彼が磐城共立病院を受験するために立ち寄ったいわきの街。彼の試験につきそって待っていたところ、その病院の先生からとても豪勢な食事をご馳走になり、それはもう大感激しました。「こんなに飯を喰えるなんて、すごい!」、と。

人生って面白いものですよね。病院の試験に合格した彼がたまたま別の就職先を選んだために生じた欠員。そうした偶然が重なって、(一緒にご馳走になった)自分が技士として磐城共立病院に入職することに。そしてそれが以降30年以上にわたって仕事をともにすることとなる、私にとって師とも呼べる先生との出会いでした。

心で決めたら足を踏み出す

昼夜の区別なく医療に専念、ひたすら患者さんに向き合うという姿勢をその先生から学びました。病院からの要請で担当した人工心肺分野での5年間を除いて、磐城共立病院では血液浄化ひと筋に歩んできました。当初、専門分野以外の兼務を周囲のみんなは反対したのですが、私自身の冒険を経て後進たちが続くようになりました。

その後、その先生が開設なさったクリニックに招請され、25年間続いた公務員としての仕事にピリオドを打って移ることに。

新施設への転職に際して、治療全般や人事といった全体の経営的見地からマネジメントをさせてほしいと要望、それまでに実践した公務員としての経験と民間の視点、その両方を活かしながら、医療部長という立場で仕事をしました。

最初の一歩が重要、心で決めたら足を踏み出す。学生時代から自分のなかに綿々と続く想い。じっと我慢するのでなく、実際に行動を起こす。同時に、そうしたチャレンジを可能にしてくれるひととの出会いに恵まれてきたのだと思います。

本を読むということ

常盤理事長には及びませんが、自分のなかで大切にしている基本です。公務員として勤務した時代、理不尽な要素も少なくない環境において、本当に患者さんのためになる医療の実現を目指す情熱。本の中でしか得られない経験というのは、次第に大きなものになって行きました。

司馬遼太郎をはじめとする歴史ものや中国の戦略史などが好きです。現代社会や実際の仕事場面に通じる要素が多くありますね。読書をするようになったのも、中学時代の恩師の教えがきっかけです。

地元への恩返し

前職への転進から5年半。クリニックの運営について、ある頃から経営トップの考え方との間に隔たりが生じるようになり、最終的に辞職することを決意。

その後はいわきを離れる覚悟だったのですが、ある方からアドヴァイスを受けたのです。30年間にわたる透析医療を通じて培われた自分の体験を地元市民に恩返ししろ、と。

それがきっかけとなってときわ会への入職を決心、昨年2月1日に入職。腎臓疾患の予防、人工透析から腎移植までを完結できる総合的な医療サービス体制の姿。理想とする地域医療についての夢を、ときわ会の未来に重ね合わせました。

総務という戦略ミッション

外来や医師のレベルは比類ない水準の高さ、ときわ会が四半世紀にわたって培ってきた真髄がここにあると実感しています。と同時に、未来に向けてさらにたゆまない変革が必要なのも事実だと思います。

現在すすめられている様々な取り組みによって、個々の職員そして組織全体のなかに、変化の息吹きが芽生え始めています。

去年12月に命ぜられた事務長としての職責。総務というミッションは自分にとって初めてのチャレンジですが、事務管理的な側面のみならず、医療という専門性を理解し、広範な性質の業務をスムーズにこなすことのできる人材の育成、職員のひとりひとりが自らの殻を破ることのできる環境づくり、そのための方向づけは、私に課せられた役割だと捉えています。

患者さんのためにこそある当会の医療サービス全体のクォリティ・アップ。非常に重要なテーマであると同時に、自分にとって大変やりがいのある職責です。

新病院が発揮すべき使命

地域における中核的な医療施設としての機能を担う、サービス完結型の病院。当会職員全員が自らの力をどう地域に還元していくのかというテーマについて、自分たち自身で考え出すことができるようになることが大切だと考えています。

高度の医療活動の実践と戦略的な情報発信力。それが優秀な医師や医療スタッフ、人材の確保育成へとつながり、地域ひいては日本全体の医療改革にも結びつくのではないでしょうか。

ときわイズムとは

変革力、だと思います。

事情が許せば5年後にリタイアして、日本じゅう、そして広く世界を歩いてみたい。

それが自分にとっての夢です。