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西山美恵子(母:以下M)いわき市田人(たびと)町出身。准看護学生時代を含めて3年間、地元の小規模な整形外科で勤務しましたが、もっと幅広い仕事をと希望。いわき泌尿器科で開院当初から働いていた高校時代の同級生からすすめられて、59年3月にときわ会に入職。次の年に結婚、翌年に娘(淳美)を出産。入職以来、主に腎内科をメインに病棟と外来を担当、10年ほど前から泉中央クリニック勤務しています。
現在、泌尿器科というのは腎臓から下のすべての疾患に関わる診療分野として広く知られるようになりましたが、私が入職した当時にはまだ偏った捉え方をする人もいました。人工透析についても、いわき泌尿器科は高い専門性を備えたフロンティア的存在で、ちゃんと理解できる人は少なかったというのがその頃の印象です。
西山淳美(娘:以下A)昭和60年7月生まれ、高校を卒業後、医療を志して進んだ看護学校を道なかばで断念することに。その後一旦まったく別分野での仕事をしたのですが、やはり医療系の仕事への想いを断ち切れず、医療事務の資格を取得して、昨年春ときわ会に就職。
(A)医療分野に進みたいという決心は、自分にとって最も身近な存在である母親の姿を見て育ったということが一番大きなきっかけでした。もともと人と接することが大好きだったので、看護師はもちろん、医療分野の仕事について、様々な人との出会いがあると考えたのです。
(M)ときわ会への就職については、佐久間(元)婦長をはじめ、みなさんがすすめてくださいました。看護学校での勉強を通じて身についた医療の知識を活かせるのではという期待、そして私が本院ではなくサテライトクリニックのひとつである泉中央で働いているので、母と娘が一緒の職場にはならないのも良いと思いました。
(A)看護学校から実習に行った病院。看護のあり方や患者さんへの接し方など、それまで学校で学んできたことと実習先で直面した現実との間に、自分では耐えられないほど大きなギャップを覚えました。云いようのない深い悩みに包まれる想いでした。
(M)そもそも看護学校という進路選択にあたって、私も娘にすすめたんです。どういったつらい状況に直面しても対処できると自負している自分と同じく、娘にもそれができるのでないかと思っていました。ものすごく勉強に打ち込んでいる様子を見て、きっと大丈夫だと考えていた矢先のことでした、娘が悩みに直面したのは。
実はちょうどその頃、私が体調を崩してしまい、しばらく入院していたのです。どうも娘が悩んでいるようだということは夫から聞いたのですが、母親である私が悩みを聞いてあげることができず、自分ひとりのなかに悩みを抱え込んで、精神的に参ってしまっているようでした。
看護学校をやめたいと自分では云い出せない本人の性格。とことん気持ちを病んでしまうようなことになってはいけないと考え、やり直しのきく時点で娘に代わって私が口にすることにしました、「この道だけが人生ではないのよ、やめたら?」と。
そうした葛藤を経た後、娘の同級生がどこの病院に就職して働いているといった話などを風の便りに聞いたりすると、夫とふたりでため息をつくような想いではありましたけど…。
娘が学校をやめたことを、後日人づてに常盤先生に報告すると、「どうして俺に相談しないんだ!」と叱られました(笑)。
(A)その後、医療とはまったく別の分野、写真スタジオで仕事をしたのですが、なじめませんでした。成人式や七五三、衣装やポーズが決められた型どおりの記念写真ばかりで…。
やはり医療分野で仕事をしたいという想いをあきらめるのは無理でした。大先輩、母の魂が私のなかで生き続けていたのかも知れません。
(M)現在、娘が落ち着いて充実した仕事ができていることを本当に嬉しく感じています。かつての実習先で担当なさった看護師の方が、娘自身にとって真の魅力を感じることのできる看護師さんではなかったのだろうと、今、思うのです。別の方に担当していただいていれば、また違った生き方だったのかもなんて考えたりすることもありました、でもきっとそれはそれで良かったのでしょうね。
以前は娘に、ひとの痛みがわかる看護師になってほしいと願っていましたが、結局のところ、看護師であれ事務職であれ、患者さんをはじめとする周囲の方々と触れ合っている以上、本質的に大切な点はきっと同じ、そう思います。
(A)事務職としての入職に際して一番初めに、「デスクワークではありませんよ」と云われました(笑)。これまでの1年間、透析部門で仕事を経験。現在はローテーション制度で病棟の事務を担当しています。ひと口に事務職といっても、部署ごとに仕事の内容や流れがまったくと云って良いほど異なります。透析では患者さんの体重を計測したりしていましたが、今は先輩のみなさんから様々なことを教えていただきながら、毎日本当に楽しく仕事をしています。
(M)それまで勉強してきた医療分野の知識を、事務職という角度から活かすことができているのではないでしょうか。看護学生として学んできた分、医療事務分野の様々な点について理解が早いように思います。母親である私は、看護師としての経験しかないので、逆に事務分野の事柄について、娘から教わったりすることもしばしばです。
(M)笑顔ですね。自身の揉め事を職場に持って来ない、感情で仕事をしない、気分をあらわにしない、とても大切なことだと思います。
常盤先生のすぐ近くでお姿を見ながら仕事をしてきた私たちは、「外来というのは病院の顔だぞ」と教えられました。いかに笑顔が大切かということを、先生ご自身のお言葉と姿で、直接叩き込んでいただくことができたのです。
(A)ひととひととの絆、でしょうか。患者さんとのつながり、そしてスタッフ同士の連携。質の高い医療サービスの提供にあたって、欠かすことのできないものだと思います。
(M)(A)『笑顔とまごころ、信頼の絆』、まさにときわイズムです。
(M)心が広くて、優しくって、とても怖いひとです(爆笑!)。
仕事の厳しさはもちろんですが、業務から離れた時間をご一緒するのが本当に楽しいです。昔、職員旅行で韓国に連れて行っていただいた時のこと。「おいおい、そんなスピードでは出発時間までに成田に着かないぞ」などと冷やかされながら(私がワゴン車を)空港まで運転して行ったんです。向こうではそれはもう楽しくて、誰も深夜まで眠りませんでした。街じゅうを散策して廻ったりショッピングに出かけたり…。私たちが「こんなものが買いたい」なんて云うと、「よし、だったらどこそこの店にあるぞ」と案内してくださったうえ、すそ直しの間に、なんと会計まで(!)済ませてくださってあったり。そんなすてきな方です。
(M)ありますよぉ!数え切れないくらい。事務所やオペ室、それはもういろんな場面で。いつもならもちろん素直に謝るんですけど、どうしても自分の意見が正しいと思い、先生に食い下がったことが2度ありました。「これは絶対、私の間違いではありません」、と。…忘れられない思い出ですね。その時には、聞き入れていただくことのできない悔しさで、常盤先生を夢にまで見ました。開院初期から仕事を共にしてきたメンバーたちには、きっとそうした武勇伝(?)がいくつもあるのではないでしょうか。
でも私たちは、本当に言葉にならないほど多くのことを(お叱りとともに)常盤先生ご本人から教えていただいてきました。
(A)いろいろな病院があるなか、私たちの病院を「選んで」来ていただけるようになりたい。みなさんに選ばれる病院でありたい、そう思います。
(M)病院にお越しいただいた患者さんに喜ばれる病院。医師・看護師・コメディカルスタッフ、すべての人的サービスが「ひとに優しい」医療機関になりたい、ですね。
(M)社会人になった彼女の下にもうふたりいて、以前は小・中・高3人の子供の学校の役員をずっと掛け持ちでやっていたんですよ。改めて振り返ってみると、仕事以外、趣味らしい趣味に振り向ける時間がまったくなくて…。でも洋裁は好きですね、それとお菓子を作ったりお料理したりすること。小名浜ときわ苑でお茶とお花の行事がある日には、休みを充ててお手伝いに行っています。あ、最近ではお風呂に行くのが楽しいです。温泉が一番なんですけど、岩盤浴も良いですね。
(A)バスケットボールです!メンバーのほとんどが男性のチームに入って、毎週1回やってます。背が高くないので、ポイントゲッターというよりは、次にどうボールを回すとつながるといった連携プレイを中心に頑張ってます。
(M)頑張り屋である分、様々な点に気づくことが多い彼女。そのまっすぐさをより良い方向に導くことができるよう、ひととの調和を大切にしながら仕事をして行ってほしいですね。
(A)怖い先輩です(笑)。でも私が働くようになってからでしょうか、衝突することが減って、最近では仲良くできているかも!…優しい母です。
ここで働くことができて本当に良かった、そう心から感じています。ときわ会で仕事ができるよう導いてくれた母に、感謝しています。
(A)一緒に買い物に行こうよと誘うのですが、母に断られることが多いです。当直明けの日に連れまわされるのが嫌だ、って(笑)。
(M)娘が買い物をしている間、じっと待たされるのが苦手なんです。エブリア(いわき市鹿島町にあるショッピングセンター)の通路に椅子がもっとあると良いですのに、ね!(笑)