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すまいりすとすまいりすと

今月の「輝き!すまいりすと」Vol.21 2008年7月
西山眞澄(にしやまますみ)ときわ会スーパーバイザー 臨床工学技士 〜必要だと思う仕事を自分で生み出していく、とにかく何でもやりました!〜

出世城のある港町

石川県の能登半島にある七尾という港町の出身。NHKの大河ドラマ「利家とまつ」加賀百万石物語でも紹介されましたが、利家が国持ち大名として初めて築いた城(小丸山城:現在は公園)のある前田家ゆかりの町です。

高校卒業後、地元を離れて東京に。コンピューター関連を志望するも、現在とは違ってまだ臨床工学技士という進路が確立していなかったその当時。ME(医療電子)科という可能性に出会い、「ここだ!」と直感、進学を決意しました。

卒業後、一旦地元に帰って脳外科で生理検査の仕事に、そこでMEの認定資格を取得。同級生だった夫と結婚後、いわきへ。

いわき市立総合磐城共立病院の心電図室で勤務の後、まだ技士がいなかったときわ会への招請を受け、開院から3年ほどだった当時のいわき泌尿器科に入職することになりました。

臨床工学技士という仕事

生命維持管理装置を扱う、医療分野のスペシャリストです。人工透析機器や人工心肺装置など、病院内のあらゆる医療機器の管理やメンテナンスを担当。医師や看護師などとともに患者さんの生命維持をサポートすることが使命です。

当会では人工透析はもちろんのこと、血液浄化にかかわる広い範囲の役割を担っています。機械を扱う仕事であると同時に、臨床という立場から患者さんと触れ合う、とても専門性の高い仕事です。

アメリカではクリニカル・エンジニアという資格がすでに当時あったのですが、私が進路として目指した頃の日本には、まだ独自のポジショニングが確立されていませんでした。でも将来の病院には、医師や看護師とともに、そうした専門性を持つ技士の役割がきっと必要になるだろうと考えたのです。

誇りとやりがい

私自身が技士になった当時はまだ女性が少なく苦労した面もありますが、現在では男女半々くらい。もちろん勉強を重ねなければならないけれど、その分やりがいも大きいですね。

一生誇りを持って続けることのできる職業として、ぜひ多くのひとにチャレンジしてほしいと思います。

もともと以前の私は、人間を相手にすることがあまり得意ではありませんでした。でも透析という医療分野における患者さんとの触れ合いを通じて、様々なお話をご一緒するようになったのです。それこそご本人の生き様や人生についてなど。

エキスパートとしての存在を頼りにしてくださっている、安心感を求めてくださっている。患者さんと私たち技士、ひととしての結びつき。そうした心の絆を嬉しいと感じるようになりました。

医療分野における技士としての専門性、日々患者さんにかかわるという対人性。いわば、ハイテクとハイタッチの両面がオーバーラップするミッションです。

医療施設によって異なった考え方のところもあるようですが、「臨床」という職務を担っている以上、率先して患者さんにかかわっていくことが大切。自分自身としてはそうしたコミュニケーションを実践するとともに、後進たちにもそう指導してきました。

この仕事に取り組んできてよかった、そんな想いです。

とにかく何でもやりました!

いわき泌尿器科への入職当時、院内に技士が私ひとりという時代。業務全体のなかでのポジションはまだ明確ではなく、自身の存在と役割を自ら築きあげなければなりませんでした。

運送屋さんが毎週届けてくれる透析液(当時はリキッドのみ、現在では徐々にパウダーに)ひと箱20kgの重い荷降ろしから、綿棒づくりまで、みんな総出でこなしました。

技士としての仕事を教えてくれるひとが院内にいないので、機械のトラブルへの対応や技術面での人的指導など。

透析機器の扱いにしても、現在ではデータの設定によって自動化されているのですが、その頃は経験を頼りにダイヤルを操作しなければならず、機器の原理についての理解や計算式の応用など、ひとつひとつについての教育が課題でした。

平成9年、川口院長の着任によって、透析以外の血液浄化にも業務が大きく拡がりました。院長から「これ、できる?」と聞かれれば、(できないという答えはありません)「はい、もちろんやります!」と。翌日に向けて準備をただちに開始するといったように。患者さんの増加や業容の拡大にともなって施設の増床や改築が進み、院内の医療機器も幾度にもわたって常に最新のものに更新されてきました。

必要だと思う仕事を自分で生み出していく、とにかく何でもやりました!

人間のマネジメント

かつてひとり目として誕生した部下は男性。職務環境がまだ充分に確立していない頃で、残念ながら離職してしまうことに。ふたり目は女性でとても頑張り屋さん、現在は北茨城中央クリニックに勤務しています。

今では部下が約20名、職務内容の拡がりとともに様々なタイプの個性を持つメンバーたちが増えてきました。

器用でコツコツやるキャラクター、チームのまとめ方が上手なひと。理解の早さや業務の適性、目標設定のあり方など、ひとひとりひとりの個性に合わせた育成の仕方がますます大切になってきました。

でも専門性の高いスペシャリストである彼らたち、実はみんなの間での連帯意識も強いんですよ。「飲み会のスタートは(全員が参加できるように)遅い時間から!」といった感じで。(笑)

スーパーバイザーというミッション

いわき泌尿器科と泉中央クリニック、竹林病院の合併によって昨年10月に誕生した「財団法人ときわ会」、そして「ときわ会グループ」。

歴史や歩み、文化や価値観など、それぞれのバックボーンを持つ組織が一丸となっての取り組みに全員の努力が必要なのはもちろんです。と同時に、未来に向けた革新のためのチャレンジに大勢の職員が熱い期待感を抱いています。

現在の私たちができることのひとつひとつを通じて、信頼の絆が一層強いものに、そして新病院の誕生という夢がさらにひとつに重なり合う、そう信じています。

常盤先生という方

ときわ会に入ってすぐ、常盤先生の第一印象。とにかくお忙しい先生!昼間は透析と外来の両方をこなしながら、夕方からは手術、夜は急患にも対応、昼夜の区別がまったくおありではなかったですね。

私たち職員も、とにかく頑張って(そして楽しさをともにしながら)先生についていきました。

怖くて、優しい先生です。今からずっと前のことですが、ときわ会で学ぶ看護学生が出かける遠足の日には、それはとても立派ですてきなお弁当を持たせておあげになるんです。奥様お手製のそのお弁当は、持って行く学生全員が楽しみにして、他の学生さんたちからはうらやましがられるほどのお弁当なんです。

そうした家庭的な温かさ、心の優しさをずっと大切にしてこられたのだと思います。

経営者というお立場からでしょうか、最近はむしろ厳しさを前面に出すように努めておられるような気もしますが、常盤先生というリーダーのお人柄、その素晴らしい魅力を、ときわ会グループ全体の職員のみなさんに、もっともっと広く知ってほしい、そう願っています。

多分無理だとは思っているんですが、私…もぐりたいんです。イルカと一緒に(笑)。

日本海の町で生まれ育ちましたから、子供の頃に海で泳いだことはあるのですが、ダイビングへの本格的なチャレンジ経験はないんです。私の知人がオーストラリアのグレート・バリアリーフで、サンゴの産卵に遭遇したことがあって、とても大感激したそうなんです。そんな体験、ぜひしてみたいです!

「ありがとう」という気持ち

故郷の両親、仕事の仲間、そして友人たち。自分の周りのみんなへの想い。以前は「感謝しなければ」と思っていたのですが、最近ではもっと自然な気持ちで感謝できるようになってきた気がします。「ありがとう」、って。