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すまいりすとすまいりすと

今月の「輝き!すまいりすと」Vol.22 2008年8月
大垣隆一郎(おおがきりゅういちろう)透析室看護師 〜体が動かなくなるまで、何歳になってもサーフィンをしていたい。海辺の生きものとしての夢です〜

医療分野に再度チャレンジしよう!

地元いわき出身です。小学校時代、同級生のひとりに障害を持った同級生がいました。みんなからいじめられていたその子にとって、友達は自分ひとりしかいませんでした。身体的なハンディを背負って生きるということに対して何かできることはないのだろうか。そんな気持ちから、大きくなったらお医者さんになりたいという想いを抱くようになりました。

ただ、遊ぶことも大好きなまま迎えた大学進学、自分には医師になるだけの学力が不足していました。時代はバブルを謳歌するまっただなか、世界中を飛び回るような生き方も良いなと考え直し、貿易関係の仕事を目指して英文科に進学。あろうことか、卒業を前にバブルがはじけて、貿易関係の進路を断念することに。

卒業後は、大学時代につけた語学力を生かして講師として働く日々。このままではいけない…。そんな頃でした、介護保険制度のスタートと弟の医学部進学。このふたつが自分にとって大いなる刺激となって、「よし、自分も医療分野に再度チャレンジしよう!」という決意が固まりました。

今さら親には経済的負担をかけられず、まずはヘルバーの資格を取得。介護職として1年間働いたあと、ときわ会の奨学生として看護師を目指すことに。29歳でいわき准看護学校に入学し2年間の通学の後、茨城県立水戸看護専門学院に2年間通学し、看護師免許を取得。現在4年目、36歳です。

透析室看護師という仕事

透析って、やはり全身医療だと思うんです、頭のてっぺんから足の先まで多くの医療分野がかかわってくるので。だからこそ、この仕事にはやりがいと大変さの両面がありますね。

患者さんの通院期間が長く、かつ週3回、毎回数時間におよぶ人工透析。他の医療分野における外来患者さんへの対応とは大きく性質の異なるかかわりだと思います。患者さんご自身が自分の状態をよく把握しておられますし、接し方が、患者さんご本人の生活そのものに即していると云えるかもしれません。にわか知識や付け焼刃では絶対に対処できません。

生きざま

『看護師』。日々のかかわりを通じて、患者さんのお役に立つことができているという実感。この仕事ならではの誇りです。医療しかも透析という日々進歩する世界、自分自身を常に高めていかなくてはならないという緊張感に満ちています。

その一方で、自分自身のライフスタイルを大切にしたいという強い想い。タイムカードを押して一旦職場を離れると、そこには医療とまったく別の世界に身を置く自分の生きざまがあります。

『サーフィン』。仕事が休みの日はもちろん朝から一日中ずっと、平日も午後から勤務の日の午前中は海にいます。

『格闘技』。仕事が夕方で終わる日には、夜はそのまま道場で格闘技。

職場以外では、海に入っているか、トレーニングしているか、道場に行っているか。まったくといっていいほど、家にいない生活。仕事時間の全力集中と、それ以外の切り替え。自分に合った生き方だと感じています。

生きざま後進たちへのエール

看護師というのは、実にやりがいのある仕事です。人生の進路選択にあたって、ストレートな歩みではなかった自分の体験が、他のみなさんにとって少しでも参考になればうれしいですね。

男女比ですか?看護学校のときの比率でいうと、男性の比率は2割くらいでしょうか。

現在の仕事について、「はたして自分にとって、これで良いのだろうか」といった迷いを感じているひとたち。看護師への道は、30代・40代という年齢からのスタートでも決して遅くありません、怖がったりせずに、ぜひ最初の一歩を踏み出してみてはいかがでしょう。未来(あす)の仲間との出会いを、熱く応援します!

海辺の生きもの

子供時代からずっと海が大好きで、高校時代には授業をサボって自転車で海に行ったりしていました。サーフィンにあこがれたのですが、道具を揃えるにもお金がかかるし、車がないと不便なスポーツなんです。大学生になるとアルバイトでボードと車を手に入れて本格的にスタート、ちゃんとしたコーチを受けると上達も早いのですが、自分の場合は独学で練習しました。

それから16年以上のサーフィン人生、自分のことを「海辺の生きもの」と呼んでるくらいです。以前は大会で勝つことを目標にしていたのですが、とある大会で優勝したのをきっかけに、"大会に出るためのサーフィン"はやめにすることにしました。今から10年ほど前、26歳頃のことです。

サーフィン中毒

実際にやっているひとならわかることなんですけど、サーフィンって、中毒になるんです、まるで麻薬か何かにとりつかれたみたいに。朝起きたときから一日中ずっと海のことばかり考えて、天気図を見ては波の様子を想像したりとか。そうすると居ても立ってもいられなくなってしまうんですよね。

"サーファー"という言葉があるように、サーフィンをやってるひとって、サーフィンがそのひとにとっての考え方や生き方そのものにまでなってしまう部分があるんです。職業選択や経済面など、結果的に人生にものすごく影響したり。

でも自分としては、サーフィンについての"中毒症状"から脱却するための行動を起こすのなら20代のうちにと決意、看護師を目指した29歳とばっちり符合するタイミングでしたね。今は大体週4回くらいのペースです。

ホームブレイク

自分にとって"ホームブレイク"(地元の波乗りポイント)は、永崎海岸(いわき市小名浜近く)。ここでは波が崩れるポイントがただ一箇所なんです。基本的に1本の波に乗ることができるのはひとりだけ。

波の大きさだけでいうと豊間(とよま)が一番なんですが、自分は永崎海岸の波の質や景色(ダイヤモンドヘッドみたいなんですよ)が好きです。結婚したときも、永崎海岸のすぐそばに家を借りたほど。海辺まで5分、もちろん今もそこに住んでます。

波のとり合い

サーフィンというスポーツ。波に乗ってテクニックを競い合う以前に、まず波のとり合いなんです。良い波というのは実に限られていて、自分が乗るための波は自分で奪いとらなくてはならない。海の中ではプライオリティと呼ばれる優先権が存在します。

海水浴しているときのことを思い浮かべてもらえるとわかりやすいんですが、突然急に大きな波が押し寄せてくることってありますよね。あの波のことをボクたちサーファーは"セット"と呼んでいて、10分なり30分に一度来るかどうかという大きな波をみんなが沖で辛抱強く待ち受けていて、その波に乗るために色々な駆け引きがあるんですよ。

地元の誇り

"ローカリズム"といって、その土地ごとの地元サーファーを尊重する意識というか、暗黙の了解みたいな一面があります。よその土地で海に入るときは、地元サーファーにひと声かけてから、とか。

逆に地元サーファーは、その土地ごとの海でサーフィンがしやすい環境を守り続ける努力を重ねています。たとえばビーチクリーンといって、海浜をきれいにする活動を行なったり、海難事故があった際には率先して救助に参加するとかいったようにです。

地元の海を大切にしているという自負心は、日本のみならず世界中のサーファーに共通することですね。

死にかけたこと

ありますよ、きっと誰でも何度かそんな経験があると思います。

ふだんでさえ波が大きいことで知られる豊間の海、その日は台風でした。時々入ってくる大きな波"セット"を沖のほうで待っていたちょうどそのとき、1日で数本来るかどうかの超特大の波(通称:お化け)が入ってきちゃったんです。

ある程度の大きさの波なら膨らんだ波面を越えてクリアすることもできるんですが、必死にパドルしてかわそうとしても間に合わず、ちょうど波頭が崩れ落ちる真下のポイントに位置してしまい、もうくぐりぬけるしかありませんでした。

波というのは水ですから、1立方メートルで1トン、巨大な水の固まりの直撃をはるか山のような高さからまともに受けて、深い海底に叩きつけられました。ボードに寝た格好のまま、とてつもない水圧を背中に受けて、です。海底を押そうが蹴ろうがビクともしません。やがて目が見えるようになると深い海であたりは真っ暗、苦しさと戦いながらなんとか海面に向かって上がっていくと少しずつあたりは緑色、そしてようやく白っぽい明るさに。

やっと息ができるかと思いきや、(セットという大波の特性上、連続して襲ってくる)2本目の大波がちょうどやってきていて、そのままもう一度海底に。水圧から解放されるのを待ってもう一度海面を目指して、(今度はほんの少しだけ息継ぎをすることができた後に)3本目の波のアタックを喰らって三たび海底に。そのときにはもう苦しいというより、海底に押しつけられたままでいる自分の周囲の時間が、ゆっくりと流れていくような不思議な感覚に包まれましたね。

一緒にサーフィンをしていてその状況を見守っていた仲間たちは、連続する大波の襲撃を受けて沈んだまま浮かんでこない自分のことを、本当にヤバいと心配したそうです。

とてつもない水圧を受けて、肺のなかの空気をすべて吐き出してしまっているのですが、もがいたりせず冷静に対処し続けたので命を落とさずにすみました。廻りの連中にもよく云って聞かせるのですが、こうした状況下、水を飲んでしまったら必ず溺れるぞ、と。

でもその夜はショック熱とでもいうのでしょうか、さすがに発熱しましたね(苦笑)。

サーフィンの魔力

休みの日には朝起きて、歯磨きだけをして海に出かけます。朝ご飯は後回し、前日のうちに買っておいたパン(海に入る当日はパンを買いに行く時間すら惜しいからです)を海に行ってから食べます。必要な道具はすべて車の中に積んでありますから、常に身ひとつ、パンツ1枚でいつでも大丈夫です。

サーフィンの魔力…。ん?、そうですねぇ。波、そして自然と一体化しているという感覚。海面を疾走しているという爽快さでしょうか。波に乗っているときに見えている景色って、地上のそれとはまったくの別世界なんです。

それとあと、1本の波に乗り終わってから少しずつよみがえってくる記憶の感じでしょうか。実際、波の上にいる瞬間って頭のなかが真っ白なんですよ。良い波に乗ってから(岸の側から沖のほうに)戻ってくるときって、自然と顔がほころんでしまうんです、ライディングの瞬間の記憶が次第に戻るというか、…思わずニコニコしてしまったり。

あ、そしてもちろんスリルも、ですね。誰もいない台風の海にひとりで入っていく瞬間って、もちろん少し怖いですよ。でもやっぱり、「何とかなるさ!」っていう気持ちになります。そのスリルに打ち勝つ感じも、サーフィンに秘められた魔力のひとつなのでしょうね。

極真空手

サーフィンとは別に、自分にとってもうひとつのライフワークである格闘技、極真空手。

子供の頃とても弱虫で、自分の家の二階が怖くて上がれませんでした。お風呂もひとりで入れないほどだったんです。「強くなりたい!」その一心で、中学一年生で始めた極真空手。地元の大会で幾度も優勝、今では指導員を務めています。

他の空手と違い、極真空手の場合、黒帯をとることのできるのは100人中1人。昇段審査でも10人を相手に戦わなければなりません。そして黒帯のなかでも指導員になることのできるのは10人に1人ほど、とても厳しい道のりです。

人間が野生動物だった頃の記憶というか、雄(男)ってどこか闘争本能の名残があるじゃないですか。明らかに自分よりも強そうに見える相手にわざわざ牙をむくような愚かなことってしませんよね、ふつう。でも格闘技をやっていると、そうした相手にも本気で立ち向かわなければなりません、もちろん通常の人生の環境では決してあり得ないことですが。そんな格闘で勝利したりすると、今度はそれが自分のなかでの大きな自信になったり。

…あ、今では自分ひとりで二階に上がることができるようになりました(爆笑)。

人命救助

永崎海岸でのサーフィン仲間が約40人ほどいて、自分はそのなかでほぼ最年長。海難事故に遭ったひとや海水浴をしていて溺れそうになったひとなどを、毎年何人も救助しています。

海でひとを助けるためには、泳ぎの技術と同時に、心肺蘇生の知識や技術が必要です。その両方を地元の海で果たすことのできるのはまず自分しかいないと考えて、応急手当の指導をすることのできる応急手当普及員(終了認定:消防本部)の資格をとりました。

ある波の高いある日、大きな浮き輪をつけたまま泳いでいた若い女性4人が沖まで流されてしまったとの知らせで救助に向かいました。無事に彼女たちを助け終わり、他のレスキューに引き渡して岸に戻ろうとしたとき、…ずっと沖のほうに人間の顔が一瞬見えたような気がしたのです。おやと思い、もう一度波がくるのを待ってその高さからよく見ると、やはりはるか沖の海面にまるで死人のように真っ白な顔が浮かんでいたのです。

これは大変と、急いで泳いでその場所まで行くと、すでに意識がなく呼吸もしていない男性の姿がありました。ふつう呼吸停止から2分間が山場だとされており、ずっと離れた岸まで連れ戻してからの心肺蘇生では遅すぎると判断。ボードの上に男性の上半身をあお向けに載せて気道を確保、海の上で人工呼吸を試みました。すると幸い、やがて意識が戻ったのです。

低体温で板につかまる体力もない男性の海水パンツを片手でつかみ、もう片手でボードを抱えて、バタ足で泳いで岸まで連れ戻し、その男性は一命を取りとめました。

浜に戻ったとき自分の名前を告げたりはしなかったのですが、地元の海岸でのこと。すぐに警察や新聞社が自宅に来て、表彰されたり新聞に載ったり、といったことになりました。もちろん自分としては決して特別なことではなく、毎年やっている、いつもどおりの救助活動だったのですが…。

やがて自分に続くように、サーフィンの仲間のなかに、海での救助活動に取り組もうとする後輩たちが出てくるようになりました。人命を救うためであるのと同時に、彼ら後輩たち自身が正しい知識と方法で救助を行なうことができるようにならなければ…。応急手当の指導と認定を行なう普及員としての資格を持つ立場である自分が責任を果たしたいという想いから、救助のための指導を実施することに。

先日(7月6日)の日曜日、みんなでビーチクリーンを実施したあと、受講を希望する30-40名を対象に、心肺蘇生法の講習会を行ないました。

地元の海に正式な認定証を持つ仲間がたくさん誕生したことにより、これで自分がいないときにでも、ローカルのサーファーたちの誰かが、その資格のもとで適切な救助活動ができるようになりました。

海外のビーチ

結婚?はい、4年目です。6年間付き合ってのゴールイン、独身時代もデートはずっと海でした。家内はサーフィンをしません、海に出かけて行く自分を家で見送ってくれます。今では毎年1-2度、海外旅行に出かけます、一緒にショッピングをしたり。でも滞在先ごとに一度くらいはサーフィンをさせてもらってます。

海外には大好きなビーチがたくさんあります。ん?、たとえばハワイのラニカイビーチとか。トイレもシャワーもない浜ですが、ゆっくりのんびり過ごすのにはぴったりですね。

それと、サイパンのとなりテニアン島にあるタガビーチ。もともと古代の王様専用のビーチだったらしいのですが、テニアンブルーと呼ばれる本当にきれいな海の色。いったいどうすればこんな青さになるのというくらいの美しさです。

夢:医療従事者編

看護師になる前に介護職として働いた経験から、環境変化に対する適応力の低下した高齢者が住みなれた家を離れなければ受けることのできない医療や介護サービスの現状について、在宅をベースとする高度なサービス提供が模索できないだろうかという想い。

もちろん自分個人でどうこうできるといった次元のテーマではないのですが、制度や地域といった全体のかかわりを含めて将来的に取り組むことができれば素晴らしいな、と。

医療従事者としての夢です。

夢:海辺の生きもの編

いわきが大好きなので、将来もずっとはなれずにいたいです。

でも、もしできることなら将来…。日本の気候が暑い夏と寒い冬にはハワイのコンドミニアムに住んでサーフィン。快適に過ごしやすく食べ物も美味しくなる春と秋にはいわきで暮らしてサーフィン。体が動かなくなるまで、何歳になってもサーフィンをしていたい。

海辺の生きものとしての夢です。