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昨年末、常盤理事長による当クリニックの視察に際して、「地域の患者さんに対してさらに質の高い医療サービスをご提供せよ」とのご指示があり、昭和61年7月の開設から20年以上が経過する当院透析室のリニューアルが決定。まさにトップによる即断即決、早速年明けには工事を開始しました。
もとは4部屋の病室として使用していたスペースを全面的に改築、それまで21床だった透析ベッド数を30に増床、最新の中央監視システムを導入するとともに、ゆとりのある空間配置や、おひとりおひとりの患者さんがより快適に透析をお受けいただくためのアメニティ設備も大幅な充実をはかりました。
そして今年3月9日、当院に誕生した新たな透析室。患者のみなさまから大変ご好評を頂戴しています。
「患者さんにご満足いただくことのできる高水準の医療サービスのご提供」。ときわ会が創立以来一貫して大事にしている考え方を改めて実現することができたのではないか、そう感じています。
新しい透析室が完成を迎えたのと同じ今春、泉中央クリニック医療部長という立場に就任しました。いわき泌尿器科病院および本院以外の全サテライトクリニックを含めて、ときわ会グループの医療機関のなかで、私がひとり目となる役職名なのではないかと思います。
医療部長という立場で果たすべきミッション。クリニックとしての医療面はもちろん、事務関係ほか、当院の運営全般について責任を担う役割、私自身としてはそう理解しています。
ときわ会第1号のサテライト施設として本院に次ぐ歴史を持つ当クリニックが、地域のみなさまにさらに優れた高い医療サービスをご提供し、患者さんにより質の高いご満足を得ていただく。そのための様々な取り組みの先頭に立って、ときわ会グループならではという地域貢献のあり方、その実践を一段とはかっていくことが、自らに課せられた使命であると捉えています。
水戸市にある私立高校を志望校としていた私に、進学に向けた話のなかで、たまたま父親が口にした言葉。「お前には無理だよ」。
. . . カチンときましたね。実際、競争率も高く、まして中高一貫であるその学校に高校から入学するのは難関だとされていたのですが、父親の言葉に一念発起した結果、受かったのです。毎朝6:07いわき発の列車に乗って3年間、水戸まで通学しました。
高校卒業後、目指した獣医への道。東京の予備校で学びつつ経験した2度の失敗。来年こそはと覚悟を決めていた頃、体調を崩し、急性肺炎を患ってしまいました。たまたま電話で話す声を聞いて私の変調に気づいた母親が、すぐに飛んできてくれました。
そのままいわきの実家に連れ戻されて、即刻入院。診察の結果、そのとき私の肺は1/4ほどしか機能していませんでした。
若さもあって幸い2週間で回復しましたが、この病気がきっかけとなり、(獣医への進路をあきらめて)当時、医療電子科(現在の臨床工学科)と呼ばれていた専門分野で医療の道を目指すことになったのです。
ときわ会への入職以前、横浜のある医療機関からの招請で、そこの経営改革という仕事に携わりました。組織や人事、営業といった分野はもちろん、マネジメント全般が改革のテーマ。その施設が直面していた難しい課題も実に多く、私自身にとっては、人生の賭けとも呼べる大いなる挑戦でした。
必死になって取り組んだ5年間。忙しくて外食ばかりに偏った食事続き、家族とは離れ離れに暮らす日々。出身地のいわきでせっかく購入した自宅へは週末に帰るだけというさびしい単身生活 . . .。
経営改革にようやくめどがついた時には、正直、心身ともに疲弊してしまいましたね。
そんな頃です、当会の川口先生(いわき泌尿器科病院院長)からのご連絡を頂戴したのは。横浜にお越しになった際にお目にかかり、ときわ会へのお誘いをいただきました。
それまで活動の舞台となった首都圏から、私自身にとって地元であるいわきへの転進。そして、ときわ会という大きな可能性を秘めた新天地。
43歳、新たな未来に向けての決意を固めました。
ときわ会に入って今年でちょうど10年。当会の透析部門全体を統括するチーフマネージャーとしての入職でした。
以来、新規に開設されるサテライトクリニックそれぞれの立ち上げなども経て、数年前からはスーパーバイザーとして複数のサテライト施設の運営サポートや医療サービス面の向上といった職務も担当してきました。
たとえばサテライト施設の開設といった場面では、スケジュールなど物理的な制約もあるなかで全般の業務を遂行しなければならないケースが多いのですが、そこでは常盤理事長のリーダーシップが強烈に発揮されましたね。
「やれ」という指示が理事長から一旦発せられると、私たち職員としてはとことん頑張って、一見不可能ではないかとも思える課題を成し遂げてしまうのです。極めて緊急性の高いテーマや、非常に緻密な対処が求められるケースなどについてさえです。
周囲からすればとても厳しく響く指示ではあっても、理事長はひとりひとりの人間に対する信頼を大切にして、任せるとおっしゃったら本当に任せたうえで、細々した指図や口出しなどは一切せずに、その進捗ぶりを暖かな目線でそっと見守ってくださいます。
それはまるで、魔力とでも云えるパワーなのです。別の表現をすると、理事長のもとには、きっとお人柄の魅力や情熱、あるいは優れた先見性に魅かれて、様々な人間が集まるのでしょうね。そうした結果、当会グループでは、各部門で実に多くの優秀な人材が仕事をしています。
常盤理事長という素晴らしいトップの指導力。「人を動かす」という力、私自身も本当に多くのことを学ばせていただいています。
特に若い世代の職員たちには、「外の世界」に目を向けてほしいと願っています。
日々の仕事や取り組み、それらを自分たちの内側にある価値観だけで捉えるのではなく、より幅広い視野、スケールの大きな視点から、本当の意味で自分のものにしつつ、さらにはそうしたヴィジョンをときわ会全体への貢献という切り口で活かしてもらえたら、そう感じています。
たとえばときわ会グループの活動そのものについて、当会ホームページを通じてとても幅広いレスポンスを頂戴しています。患者さんほか地元地域のみなさんからはもちろんのこと、首都圏や関西エリアといった広く全国規模の方々からのお声を、私自身いつも実感しています。
外の世界や空気との接点。ときわ会グループ全体の未来にとって、ますます重要になってくるのではないでしょうか。
50歳になったのを機に、農業を始めました。いわゆる家庭菜園は以前からやっていたのですが、100坪の畑と(クワではなく)トラクターを確保しての、「農業」です。
トマト、キュウリ、サツマイモ、ジャガイモ、スイカ、パプリカ . . .。
栽培する作物は季節ごとに多岐に及びます。他のみなさんと異なる、私なりのこだわりは、地元産以外の品種を育てること。いわき周辺のお店には決して売っていない品種ばかりを選んでチャレンジしています。
たとえば、十勝小金(とかちこがね)やスタールビーと呼ばれるジャガイモ、四葉(しば)キュウリという表面にトゲのある種類のものや、スイカでは伝助(でんすけ)という果皮が黒い品種や、大きな楕円形で重さが10数kgもある黒部スイカ(富山県の特産物)など。
それぞれ苗をインターネットで探して取り寄せたり、珍しい郷土野菜として地元で実際に食べたあと、自分で種を持って帰ってきて栽培したり。
奥が深いんですよ、農業といのは。ほんの一例ですが、トマトの場合にも、雨にあててはいけない、土壌は砂漠状態にしておく、さらには苗を斜めにして植える(起き上がって伸びることを学習させるため)といったように、です。
もちろん医療という「職業」とはまた別の意味ですが、農業は私にとってもうひとつの「仕事」です(笑)。