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すまいりすとすまいりすと

今月の「輝き!すまいりすと」Vol.38 2009年12月
渡辺幸雄(わたなべさちお)社会福祉士 医療ソーシャルワーカー -高齢者のみなさんが、受けたいサービスを等しく受けることのできる社会にしたい -

誕生、ハッピーマン

福島県双葉郡富岡町夜ノ森(よのもり)生まれ。県内でも桜がきれいなことで有名な所、昭和31年4月20日、まさに桜が満開の時に生まれたそうです。親からもらった名前が幸せな雄(おす)、自称ハッピーマンです(笑)。

高校卒業にあたって、将来は地元にある知的障害者のための施設で仕事をしたいと考えました。当時、福祉関係の進路を目指す人は少ない時代だったのですが、私の場合、母親が養護学校の教員をつとめており、また姉が知的障害施設で働いていたので、子供の頃からそうした分野に関連するたくさんの本に囲まれて育ったのです。

仙台にある東北福祉大学に進学。大学の卒業後、もともと目指していた富岡町の知的障害施設に就職、児童指導員として働いたのが、私自身の福祉の道の出発点です。

Mr. 苦労人のスタート

約7年後、その施設での仕事に転機が訪れ、いわき市内にある総合病院に転職したことが、現在にまで続く医療ソーシャルワーカーとしてのキャリアのスタートになりました。

当時その病院ではそうした職称のもとで仕事をしている人がまだひとりもおらず、私自身が医療ソーシャルワーカーという職種の第1号となりました。振り返ってみますと、それからまさに苦悩の連続でした。

というのも、国家資格を有して仕事をする立場の職員とは違って、医療ソーシャルワーカーという存在そのものがまだ認知されておらず、一般の事務職とどう違うのかという点について、院内の職員からは理解してもらうことができなかったのです。

ないないづくし

いわき市の場合、公的な医療機関ではケースワーカーという肩書きのもと、市の行政職員が事務職としてその役割を果たすというのが実情。そうした時代背景のもと、一般の民間病院でも、必置義務(ひっちぎむ:人数を定めて必ず置かなければならないという規則)をともなわない医療ソーシャルワーカーという職種について、周囲から専門職として認めてもらうことは難しいことでした。

公的な資格、周囲からの認知、ポジションの設置義務。云うならば、自分自身の内なる使命感以外には、ないないづくしの仕事だったわけです。

悔しい想いでしたね。ただ自分自身としても、福祉分野での7年間の経験を持って、今度は医療分野における専門職という自覚のもとで一旦その仕事に就いた以上、医療ソーシャルワーカーが果たすべき役割、持つべき技術や専門性といった点について、根本的に、そして職場の内外両面から、突き詰めて行こうという決心を固めました。

認めてもらうという活動

院内組織、患者のみなさま、地域社会。それぞれから認知してもらうことを目指して、自らの職場である病院内においてはもちろんのこと、県内の医療ソーシャルワーカー協会という団体でも、諸先輩のみなさんに教えを請いながら研鑽を重ねました。

まず徹底したのは、医療職のみなさんから頼まれることについては、一切断らずにお受けするようにするということです。

高齢化の流れが顕著になり始めたその頃、医療職からの依頼のなかで最も多かったのは、医療費や経済面に関することでした。社会的入院と在宅医療、他の医療機関との連携や行政との調整。そうしたテーマでの実績を重ねることによって、自分の取り組みについて、院内での理解が少しずつ得られるようになりました。

たとえば複数の医療機関の間で協調するといったケースの場合に、双方の医療ソーシャルワーカー同士が緊密に連絡を取り合ってドクターをサポートするという仕組みが機能するようになると、ドクター陣、医療職さらには事務職にまで、私たち医療ソーシャルワーカーの存在が、次第に"頼りにされるもの"になって行ったのです。

活動ひとつひとつの積み重ねが、点から線、やがては線から面へと拡がりをみせるにつれて、院内や行政そして地域といった単位で、医療ソーシャルワーカーという専門職の役割について、エキスパートとしての認知が形成されることとなりました。

後進を育てる

私自身が直面した苦労とは別に、自分たちに続く世代の医療ソーシャルワーカーたちを育成するということも極めて重要だと考え、そのための活動にも力を注ぎました。勤務する病院の了解を得つつ、高校や専門学校、大学などにも非常勤として出向いて、制度面を中心に教鞭をとりました。

あるいは地域の婦人会や高齢者のみなさんがお集まりになる老人クラブといった場で、どうすれば医療と福祉をうまく活用していただくことができるのかといったことをお話したりもしました。

そうした結果、たとえば学校の先生方にも医療ソーシャルワーカーという仕事についての理解を深めていただくことができ、生徒や学生への進路指導といった機会に際しても、多少なりともお役立ていただけるようになったのではないかと思います。

とても長い道のりではありましたが、医療ソーシャルワーカーとして働く人の数も増え、ようやく自分たちの役割を発揮することのできる時代になってきた. . .。そんな気がしています。

ふるさとへの帰還

介護保険制度が始まる以前のことなのですが、ゴールドプランという呼び名のもと「高齢者保健福祉10ヶ年戦略」という構想が国によって提唱されたのです。ホームヘルパーやデイサービスなど在宅系のサービスを市町村が主体となって展開するという内容で、日本全国どこでも福祉サービスを受けることができるとするものです。

私にとってこれから先、人生を賭けて取り組むのはこれだと思いました。そして自分が生まれ育ち、親が暮らしている地元の町に、これまで自分自身が重ねてきた経験を還元したい、そんな想いに包まれたのです。

いわき市内で勤務していた病院の職を辞し、ふるさとである富岡町に戻りました。地元の医療機関に勤めるかたわら、それまでソーシャルワーカーとして培ってきた蓄積を展開することで、福祉という観点からみんなにとって暮らしやすい町づくりを実現することに力を傾けました。

「一家にひとり、ホームソーシャルワーカー」

平成12年にスタートした、介護保険制度。高齢化社会の問題はすべてこれで解決する、そんなふうに謳われての制度開始でしたが、私にはそう思えませんでした。

縦割り行政の弊害、その根本的な解決のためには、家庭におけるすべてを一元的に相談することのできる窓口が必要、私はそう考えたのです。

平成4年に取得した社会福祉士という国家資格。それを活かして地域のお役に立てないか、そんな想いで新たなサービスのスタートを考えました。標語的になぞらえると「一家にひとり、ホームソーシャルワーカー」。そんな感じでしょうか。

たとえば入院していた病院からの退院に際して、ご家族がドクターから受ける説明。難しくて良くわからなくても、相談できる先を知らないというケースもあるわけです。あるいは介護保険の適用を受けようとする場合にも、役所では制度についての説明を聞くことはできても、事業所ごとの評価やヘルパーさんの評判を教えてくれたりはしません。

かかりつけのソーシャルワーカー、ご家族の代理人あるいは顧問的な立場としてのソーシャルワーカー。地元の草の根ニーズに対して、私ならではのサポートができるのではないか。そんな情熱にかられて、自分自身の事務所を開くことにしました。

ときわ会へ、火がついた闘志

. . . とはいえ、自ら独立しての収入が保証されているわけではありません。志は抱きつつも、経済的には微力。そんななかで、ときわ会とのご縁を得て、非常勤の医療ソーシャルワーカーという立場で仕事をさせていただけることとなりました。平成14年春のことです。

いわき泌尿器科をはじめ、各サテライト施設を回る日々で実感したのが、患者さんのなかでの要介護高齢者の増加にともなう様々な問題。なかでも透析患者のみなさまが、介護制度の適用面で不合理な立場におかれていらっしゃるという現実でした。適用を受けたい制度を利用することができないケースがとても多くあるのです。

私のなかで、メラメラと燃える闘志に再び火がつきました。高齢者のみなさんが、受けたいサービスを等しく受けることのできる社会にしたい、と。

非常勤としての入職から半年。改めて今度は、ソーシャルワーク部門の統括という立場で正式な参画を果たさせていただくことになりました。私自身の開いた個人事務所は看板を残すのみ、事実上閉じることにしました(笑)。

次なるテーマ

私が持つこれまでの経験や対外的なつながり、組織外の人脈などが、ときわ会グループの運営のなかで多少なりともお役に立てばと考えています。福島県のMSW(医療ソーシャルワーカー)協会や社会福祉士会など、私が事務局長をつとめている社会活動を含めて、私自身よりもむしろ若手職員のみなさんに、ぜひ積極的に活用していただくことができれば、本当にうれしいと思います。

ときわ会の一員として歩んだ7年。後進のソーシャルワーカー陣が成長を見せてくれている今、現場の実務面は彼らの手に委ねつつ、私自身としてはグループ組織の全体において次に果たすべき使命を模索したい、そんなふうに感じています。

楢葉(ならは)ときわ苑

ときわ会グループの運営によるふたつ目の介護老人保健施設「楢葉ときわ苑」(富岡町に隣接する楢葉町に開設を計画)の開苑に向けた準備を現在すすめています。

入所100名、通所20名、ショートステイ(短期入所)20名。小名浜ときわ苑と比較するとひとまわりコンパクトな規模の施設となる予定です。

医療、介護、看護ともに、小名浜ときわ苑で蓄積されたシステムやサービスを活用しての誕生。ご利用者様やご家族のみなさまにきっとご満足いだくことのできる施設にしたいと、開設準備スタッフ陣一同、張り切っています。

申請関係の手続きなどはすでに整っており、来年夏頃の開苑を目指しています。

富岡、この町が好き

昔も今も、自分の生まれ育ったこの町がとても好きです。気候や風土はもちろん、ここに暮らす人々のあたたかな心が自分にとても合っているのだと思います。郷土愛とでもいうのでしょうか。包み込んでくれるような、心からくつろぐことのできる雰囲気がこの町にはあるような気がします。

次世代ワーカーへのエール

自分の信じた道。文字どおり自信を持って歩んでほしい、そう思います。

仲間たちと一緒に、ボランティア活動をしながら日本を一周するのが夢です。自分の手で育てた野菜を持って、自分たちの大好きなゴルフをやりながら…。全国各地、色々な地方の地元施設を訪問して、野菜をお届けすること。自分の好きなことを糧にしつつ、自分たちの趣味を楽しむ。

そんな活動をしながら老後を過ごせたら. . . 、私の夢です。