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すまいりすとすまいりすと

今月の「輝き!すまいりすと」Vol.39 2010年1月
半沢幸一(はんざわこういち)財団法人ときわ会 理事長 〜地域のみなさまのために真の意味でより良い医療サービスの実現をはかっていくことが、私たちの大きな使命です〜

「忘れじの山」

宮城県白石市の出身、片倉小十郎の城下町として知られています。幼い頃から蔵王連峰の勇姿を眺めて育ちました。地元では不忘山(ふぼうさん:「忘れじの山」)と呼ばれる素晴らしい山々です。

とても古い町で、人の口にのぼる噂話などは、それこそ数時間もたつとあっという間にみんなが知るところとなるほどでしたね。

私が青春時代を過ごした高校は白石城址にあって、朝から夕方までテニスに打ち込む毎日、全国大会にも出場しました。その頃から様々なスポーツをやってきたのですが、もう今では、テニスのほか水泳やゴルフもやめてしまいました。現在も続けていることといえば、犬を連れての散歩くらいでしょうか(笑)。

1年が10年に

高校卒業後、福島県立医科大学そして大学院へと進み、第一外科の医局で筆頭講師をつとめました。学生運動が盛んだったその時代、血気盛んな人間のなかには診療ストライキを起こす者まで出る始末。もちろん私自身はそうした動きに大反対、とてもがっかりしましたね。

そんな頃です、呉羽総合病院(いわき市錦町)に行かないかというお話があったのは。まずは1年間ということでもあり、当時の学内情勢に失望していた私は、外科部長としての赴任をお受けすることにしました。

でも結局、(1年ではなく)なんと10年間にもわたって、その病院で仕事をすることになりました(笑)。

寮歌に動いた心

昭和56年の4月、いわき市平にある松尾病院に副院長として転進。さらに5年後、学生時代から大変お世話になっていた竹林貞吉先生(竹林病院前理事長:故人)から、「自分の後、病院を頼む」とのお誘いを受けたのです。

後継者がいらっしゃらないというご事情からのお言葉ではありましたが、私自身は、少なからず迷いました。

そんなかで、学生寮の歌を披露し合う「寮歌祭」という催しの全国大会が開かれたのです。仙台の二高から東大へという学歴を歩まれた竹林先生、学生時代の帽子に羽織袴という出で立ちで、扇を手に寮歌を高らかに歌われたのです。その勇壮なお姿に心を動かされましたね。やはり自分が尽くすのならこういう人だ、と。

決心が固まり、副院長としてご一緒させていただくことに。昭和61年春のことです。

大学で10年、呉羽総合病院で10年、松尾病院で5年。それぞれ10年・5年ごとに迎える節目となりました。

業務提携そして組織統合

平成7年12月、竹林貞吉先生のご死去にともない、竹林病院の理事長・院長職を継承。医療制度改革がますます本格化する時代の病院運営、様々な苦労に直面しました。

今から5年ほど前の平成16年頃だったと思います。それまでもかねて懇意にしていただいていた常盤先生からお声をかけていただいたのは。財団法人竹林病院と医療法人社団ときわ会との業務提携を目指して、準備に入ったのです。

職員に対しても心を砕いて説得を重ねました。ひとりも脱落させることなく理解を得たうえで、専門領域に特化した診療体制の整備をはかり、平成18年4月に業務提携を実現。同年夏に透析装置を設置し、続く10月には透析センターで人工透析を開始ました。

そして1年後の平成19年10月、医療法人社団ときわ会(いわき泌尿器科および泉中央クリニック)との間で組織統合をはかり、財団法人ときわ会が発足を迎えました。

もしかすると職員たちのなかには、ふたつの組織がひとつになるにあたっての戸惑いを感じる者がいたのかも知れません。それぞれに異なる風土や歴史といった面もあるわけです。

でも、つまるところ医療人なのですね。職員のみんながついてきてくれたことに心から感謝しています。そしてまた私自身、胸を張ることのできる想いでした。

「以心伝心」

一市一病院という行政指針のもと、いわき市の病院局、病院協議会、さらには医師会のメンバーで、市立常磐病院の後継医療機関の望ましいあり方について、以前から協議が重ねられてきました。

当初は全国公募といった案も検討されたのですが、看護師をはじめとする医療スタッフの確保に際して、地元医療機関からの異動によっていわきの地域医療が圧迫されるようなことがあってはならないという懸念から、見送られました。それからも議論は紛糾を続け、それこそ机をたたいての激論といった場面もしばしばでした。

私自身、毎回の会合に出席するなか、こんなことではいけないと感じていました。「本当に地域のみなさまのためになるには、どうするのが一番か」。いつもご一緒している常盤先生も、きっと同じ想いでいらっしゃったのだと思います。

あるとき、常盤先生と私どちらからともなく、ひとつの同じ考えに至ったのです。「財団法人ときわ会の医療施設である竹林病院の機能を、常磐病院の運営にあててはどうだろうか」、と。

地域のみなさまにとって、常磐病院の持つ役割が極めて大きなものであることはいうまでもありません。そして一方で、竹林病院のある平エリアには、規模の大きな複数の医療施設が存在しているわけです。竹林病院そしていわき泌尿器科病院、ふたつの力を結集して、常磐病院の後継医療機関としての運営にあたろう。

常盤先生と私、一致した意見でした。

たしかに思い切った考えではあるのですが、そこまで踏み込まなければ解決が得られないほど大きなテーマであったのです、地域医療において果たされるべき常磐病院の後継問題というのは。

まさに「以心伝心」。…感慨深い想いでしたね。

財団法人ときわ会常磐病院

市立常磐病院について、いわき市から財団法人ときわ会への引き継ぎが正式に決定されました。

今年2010年4月、竹林病院はその機能の大半を常磐病院に移して、現在ある診療分野のうち内科と透析センターを運営するクリニックとなります。その結果、泌尿器科や小児科を常磐病院の新たな診療科目としてご提供することができるようになります。

そして常磐病院における耐震補強や高性能の医療機器導入、透析センターの建設などを経て、今年末または来年4月をめどにいわき泌尿器科病院の機能も移転、クリニックにすると同時に、常磐病院の新たな姿を完成させる計画です。

公立病院から民間の病院へ。地域のみなさまのために真の意味でより良い医療サービスの実現をはかっていくことが、私たちの大きな使命です。

医療人としての誇り

地域のみなさまの健康を守るということ。それは私たち医療に携わる者にとっての責務にほかなりません。

病院で働く職員、地域に暮らすみなさま、そのどちらの満足も大切です。そしてそれらによって支えられる医療機関としての安定、そうした循環を通じてさらに拡げられるべき、健康と満足の輪。

この理想的なトライアングルの実現を目指し続けることこそが、私自身の果たすべき役割、そして医療人としての誇りだと考えています。