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生まれも育ちも地元いわき市です。高校を卒業後、水戸市にある福祉専門学校に進学。朝早い電車で片道2時間半の通学、介護全般について2年間学びました。卒業と同時に介護福祉士の資格を取得、小名浜ときわ苑に入職しました。
その専門学校時代、小名浜ときわ苑でボランティア実習をさせていたただいた際に、同じ学校の先輩が非常にいきいきと仕事をしている姿をみて、強くあこがれたのです。「自分も先輩のように介護の仕事をしたい」、と。今でもその姿が強い印象となって焼きついています。
実際に就職先を決める時期になり、活動がとてものんびりしていた私ですが、その体験がきっかけとなって、入職させていただくことになりました。平成9年春のことです。
とても明るく活気に満ちた施設です。ここに働く職員そしてご利用者のみなさま、そのどちらにもおおらかなエネルギーがあります。
そしてまた介護というテーマそのものについて、新たな情報や技術を積極的に吸収しつつも、日々の取り組みにおいては「介護の本質」に根ざしたカルチュアがいきづいていますね。
介護老人保健施設というと、一般にどこか静かすぎたり、ややもすると落ち着きすぎたりといったイメージを抱きがちですが、本当にあたたかな想いに満ちた生活の場。小名浜ときわ苑は、そんな人間空間です。
介護という仕事を選んだ理由ですか?具体的にどうという特別なわけがあってのことではないのですが、…気がついたら、介護の仕事をめざしていました。
ただ、幼い頃からおばあちゃんっ子だった私。とてもかわいがってくれた祖母が大好きでした。亡くなる間際までずっと元気で、特に介護を必要としていたわけではありませんし、私の進路について何か言ったりしたこともない祖母なのですが、「人間というのは、ひとに支えられてその存在があるのだよ」だとか「周囲のみなさんの手を借りて生きているのだから、いつの日にか、ひとりの人間として、みんなの手にならなくてはいけないよ」といったことを、知らず知らずのうちに教えてくれていたような気がします。
そういえば小学生の頃から、サークルのみんなと一緒に、地域の施設への慰問に参加したりしていました。とても「手」などという立派なことができていたわけではありませんが、そういった活動には積極的な子供時代でした。
いつも穏やかでニコニコと笑みを絶やさなかった祖母。どんな些細なことにでもすぐに気がついてほめてくれる、そんな祖母に喜んでもらえたら嬉しいという気持ちが自分のなかにあったのかも知れませんね。
まず、利用者のみなさまの状態の確認。きのうから今日にかけて何か変わったことはないか、苦痛の有無やご希望についてなど、お声をかけたり見て回ったりしながら把握したうえで、介護・看護のスタッフからなるケアチームのメンバーで情報交換し合います。
そして食事やトイレ、寝起きなどをはじめ、おひとりおひとりにとって必要な生活全般についてのお世話をさせていただきます。みなさまの手となり足となり、眼や口となる。そうしたサポートといったイメージでしょうか。
よく介護はコツと言うのですが、やはり体力は大きな要素です。ふと自分の体を重く感じたりする瞬間などには、「介護というのは自分が健康であってこそできる仕事なのだ」と思いますね。
それと同時に、自分自身の理性と感情をきちんとバランスをとって仕事にあたるということも非常に大切です。
以前、あるご利用者様のトイレのお世話をさせていただいていた場面でのこと。認知症をわずらっておられたその方が、私に言葉を向けられたのです。「お前はバカだから、こうやって男の体に触れるような仕事しかできないんだ」、と。
つらいというより、悲しい想いでした。病気というのは、そうしたお言葉を口にさせてしまうのですね。でもきっとそのご利用者は、異性である私にトイレの世話をされること自体がとても嫌だとお感じになっておられたのだと思うのです。そのことをきちんと捉えて、決してうわべの感情面で受け止めてしまったりしないことの重要性。
介護という仕事の大切な本質の一面を教えてくださったのだと、理解しています。
逆に、嬉しいという想いに包まれる瞬間のエピソードとして、やはり別の認知症の患者さんのケースなのですが…。
私自身が、精神的にちょっと疲れたかなと感じて落ち込んでいるようなとき、ふとお隣に黙って座らせていただいているだけなのに、きっと何かをお感じくださるのでしょうね。「大丈夫かい?」と優しくお声をかけていただいたりすることがあるのです。
もう本当に嬉しくて!言葉にできないほどの喜びですね。癒されるというよりも、「心」を読んでくださるというか。
お世話をさせていただくという仕事を通じて、私の「手」を求めてくださる方が、すぐ目の前にいらっしゃる。「こうしたい、こうしてほしい」と、口に出しておっしゃる方ばかりではありません。実際には、云い出せないままでおられる方も大変多いのです。でもそのことに、ひととして自然に気がつく…。
「看護はアートだ」という有名な言葉があるのですが、介護にもそういう面があると、私は思います。知識や技術、どちらも必要なのはもちろんですが、ご利用者自身のなかに不安や苦痛をともなわず、そっと気持ちを置いていくことができるような介護。ある意味ではまさに「芸術」とさえ云えるのかも知れませんが、そんな介護を実践できるようになりたいですね。
マニュアルどおりの業務としてより、もっと大切な、ひとりの人間としてひとに接する「気持ちのスキル」。心と肌、そのどちらにも触れ合うという仕事の素晴らしさ。
「ありがとう」、みなさんに対して心からの感謝に包まれる想いです。
介護部門を統括するという立場に就いて、6年目になります。
いつもご利用者のおそばにいたいという想いがあるのですが、やはり職員を育てることにより強くかかわっていくことが、私自身の役割だと考えています。ご利用者に接する場面に最も携わっているのは、彼らケアチームの職員であるわけですから。
生活スタイルや社会意識も異なる若い世代のスタッフたち。彼らがくじけたりつぶれてしまったりすることのないよう、なるべく彼らの身近にいて、できるだけ多くのことに"気づきたい"、それが私の想いです。
何に直面し、何に思い悩んでいるのか。業務をどうすすめていきたいと考えているのか。そうした様々な点に"気づいて"いたいですし、また彼ら自身にも、私が気づいているんだよということに"気づかせ"たいのです。日々の仕事のなかで、彼らを守ったり、ときには厳しい言葉をかけたりするためには、まずそうした"気づき"が必要だと思うのです。
"気づく"という、心の能力を育てることを通じて、ご利用者のみなさまのお役に立ちたい。部門長として力を注いでいくべきだと考える、私自身の介護観です。
夢ですか?若い世代のスタッフへの継承を含めて、いつまでも介護を実践することのできる仕事人でいたいですね。
それとあと、もともと昔は祖母と一緒にやっていたのですが、緑を育てることが好きです。決して立派な花苗を買ってくるのではなくて、たとえばそうですね、…散歩に行ったときなどに、たまたま道端で目にとまったクローバーを家に持って帰ってきて植えたり。家庭菜園なんていうと、みなさんに笑われるのでしょうね、きっと。
誰も見向きもせず、名前を知らないような、そんな花が私は好きです!