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すまいりすとすまいりすと

今月の「輝き!すまいりすと」Vol.53 2011年3月
永沼利明(ながぬまとしあき)常磐病院 臨床工学技師 ~人としての優しい心のあり方こそ技師という仕事の本質である、私はそう考えています ~

鬼ごっこ、そして…

地元いわき湯本出身、常磐病院から歩いてほんの5分ほどのところにある実家で生まれ育ちました。

今から40年前、私がまだ小学校3年生の頃に当時のリハビリ病棟として完成したばかりの建物。その中にあるエレベーターで、毎日みんなと一緒に鬼ごっこをして遊びました。看護師さんに叱られたことをよく覚えています。(笑)

昨年4月にいわき市からときわ会によって引き継がれた、常磐病院の運営。来月4月1日に新たな姿でグランドオープンを迎えるその病院で、臨床工学技師として働いている現在の私。

運命ともいうのでしょうか、長い時代の変遷を超えた人生のめぐり合わせ。…そうした歩みに、感慨深い想いでいっぱいです。

生涯を決定づけた出会い

中学・高校と地元の学校に進学。部活で取り組んだのが野球、ポジションはサードでした。そんな青春時代以降、私の人生を大きく決定づけたのが、ある友との出会いだったのです。

仮にH君と呼ばせてください。その彼とは高校の入学式で一緒になりました。クラスも同じ、入部したのはふたりとも野球部。出会いと同時に意気投合、その日のうちに親友になったといっても過言ではありません。

とにかく明るい性格で、みんなを引っ張る積極性やリーダーシップに溢れたH君。彼が発揮するエネルギッシュな魅力に惹きつけられる想いでしたね。

「これだ!」

かけがえのない親友とともに過ごした、高校時代の3年間。卒業を控えた夏休みの頃だったでしょうか。大学への進学については漠然とした意識しかなく、さほど勉強熱心でもなかった私。美容院を営んでいる母親からは、「あんたは口下手だし社交的でもないから、美容師には向かないよ」といわれていました。

模索が続くある日のこと。H君の先輩で透析技師として働いておられる方のことを知ったのです。白衣を着て、病院で仕事をする…。「これだ!」

人生の進路を、ふたりで決めた瞬間でした。

技師を目指して…

高校卒業と同時に東京へ、池袋にある東京電子専門学校に入学。今からは想像もできませんが、その当時、透析技師になるための専門学校は、まだ全国に2校(もうひとつは、蒲田の日本工学院)しかありませんでした。

H君と一緒にアパートを借りて、東京で勉学の日々がスタート。技師になるという具体的な目標を抱いての勉強でしたから、高校時代よりもずっと一生懸命に学びました。

医療機器や電気工学を中心とするテーマに関する受講や実習。もともと理系の科目は得意ではなかったのですが、とても充実した2年間でしたね。

ディスコブーム

遊びですか?高校卒業まで地元のいわき湯本しか知らずに育ちましたから、東京での暮らしは大いに刺激的でしたね。

約30年前の当時、ディスコブームが全盛だったのです。EW&F(アース・ウィンド・アンド・ファイアー)の人気ナンバーの数々や、"愛のコリーダ"が大ヒットしていたクインシー・ジョーンズなど。踊りはもちろんですが、ディスコでは、安い値段で飲んだり食べたりすることもできて、とても楽しかったですね。毎週のように新宿歌舞伎町に遊びに出かけました。

はい、もちろんH君も一緒にです。

ふたり揃ってデビュー

専門学校の卒業と同時に、ふたりでいわきの病院に就職しました。私は好間(よしま)病院(当時)、H君は磐城共立病院。ふたり揃って、市立病院の技師としてデビューを果たすことができたのです。

専門学校時代の勉強とは異なり、実際に初めて体験する業務の奥深さを実感しましたね。知識面の吸収のみではなく、現場におけるプロとしての仕事の姿。チームワーク、特に看護師のみなさんに認められて、少しずつ頼りにしていただけるようになるのが嬉しかったです。

当初H君とは勤務する病院が別でしたが、後に私も共立病院に転属。それ以降、彼とは職場と職種をともにすることとなりました。

長年培った仲の良さはもちろんですが、同じ病院で仕事をする親友同士として、やがてある意味でのライバル心も芽生えて行ったように思います。

彼に負けないように頑張ろう、と…。

悲しい離別

高校時代の出会いのときから、ずっと変わることなく、純粋で前向き、そしてとにかくまじめ。同じ志を抱き、ともに技師となり、持ち前のリーダーシップを発揮し続けてきた、H君。

努力家で頑張り屋であるからこそ、自らの理想と現実との狭間で思い悩み、ある種のジレンマを抱える面があったのだろうと思います。

なんと悲しいことに、…自らの命を絶ってしまったのです。3年少し前のことでした。

私自身、到底言葉には尽くすことができないショックを受けたのはもちろんです。なんとか同じ職場で彼の遺志を受け継いで行こうとしたのですが、そのあまりにも辛い想いは、やはり叶いませんでした。

悲しい出来事から約2年。彼とともに働いた職場を辞することを決心しました。

新天地、ときわ会

自身にとって転機となる環境を探し求めた私。ご縁を得て、ときわ会に新天地を得ることができたのです。
まず竹林病院で9ヶ月間の勤務を経て、昨年4月から常磐病院で仕事をしています。若い活力に満ちたときわ会グループの気風のもと、まもなく迎えるグランドオープンと同時に、新体制のもとでの業務がスタートします。

常磐病院における臨床工学技師の業務システムについて、情報の全体共有と協調性に溢れた運営を目指して、4月の発足に向けた内容構築を現在すすめています。

臨床工学技師として求められる、専門分野への精通と広範な領域での習熟。その両者の視点をバランスさせることのできる組織設計を目指したいと考えています。

技師にとっての本質

知識や技術、個人単位でのスキルの優秀さというのはもちろん大切ですが、何よりも「心の優しさ」が原点であってほしいと思います。このことは、技師としてのキャリアの長短や年齢、経験の程度によらず、きわめて重要なのではないでしょうか。

患者さんに接する姿勢や、看護師をはじめとするチームでの連携。そうした場面のひとつひとつにおける、人としての優しい心のあり方こそ技師という仕事の本質である、私はそう考えています。

読書、野球、テニス

読書が好きで、様々なジャンルのものを読みます。作風はずいぶん異なるのですが、天童荒太(てんどうあらた)、奥田英朗(おくだひでお)、このふたりの作家が特に好きです。

学生時代にやっていた野球は、今ではもっぱら小学5年生の息子を手伝って軟式野球の審判を務める程度です。

スポーツは色々と経験してきたのですが、社会人になってから始めたのがテニス。その楽しさにのめり込みましたね。何度も大会に出場、いわき市のランキング(ダブルス)で20位になったこともあるんですよ。ぜひときわ会に、テニス愛好会を誕生させたいですね!

強靭な肉体作り

これから70歳、80歳、90歳、どんなに歳を重ねても、楽しいと思えることを見つけてやっていくことのできる、バリバリの体力を作り続けたいと思っています。

ほぼ毎日、息子と一緒にグラウンドをランニングするのが日課。階段をダッシュしたり、筋肉トレーニングなどもしています。

強靭な肉体作り。私の夢、そして日々の健康法です♪