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すまいりすとすまいりすと

今月の「輝き!すまいりすと」Vol.45 2010年7月
高萩秀樹(たかはぎひでき)いわき泌尿器科病院 看護師 病棟担当 〜 患者さんの「心」の支えとなることができるような看護を目指したいと願っています 〜

シカゴ生まれのいわき人

今年35歳、アメリカのシカゴ生まれです。ともに日本人の両親ですが、父親の仕事の関係で渡米、ボクは現地で誕生しました。3歳の頃に母親と一緒に帰国、以来いわきで育ちました。

幼い頃のことなので、アメリカでの暮らしはあまりはっきり覚えていないですね、なんだか夢の中での記憶のような気がして…。叔母やいとこなど、父方の親戚にアメリカで生活している人が何人もいるので、高校時代に久しぶりに遊びに行ったり、妻と一緒に新婚旅行で訪れたりと、シカゴは今も自分にとって身近な街であり続けています。

出生地がアメリカなので、(20歳までに申請すれば)グリーンカードが取得しやすかったのですが、何も手続きをしないままでした。…ちょっと惜しかったかも!

映画の世界を夢みて!

中学・高校と、学生時代はあまり目立たない存在だったと思います。影が薄いというか(笑)。早くから医療分野を目指していた職員たちとは違い、ボクが最初に志したのは、実は映画の世界なんです♪

小さいときからテレビが大好きで、とにかく1日中ずっとテレビを観て過ごしていました。映画をはじめ、ドラマやバラエティ、ジャンルは問わずに、です。そんなボクが高校卒業後の進路に選んだのが、演劇や俳優養成の専門学校!東京調布にある日活撮影所のなかの学校です。

好きだった俳優ですか?ん〜(多すぎて答えづらいという様子)。特に誰かにあこがれたというわけではなくて、あまりカッコ良くなくても構わないので、そのストーリーに欠かすことのできない脇役といった存在感の役者になりたいと思いましたね。

親からは反対されました。せめて経済面の心配だけでもかけたくないと考えて、新聞奨学生(新聞配達をして学費を稼ぐ制度)として、府中市内で新聞配達をしながら学校に通いました。

いやぁ本当にキツかったです(汗)。朝早くからの仕事、睡眠不足、お金の苦労。好きで目指した映画への道でしたが、半年ほどでギブアップすることに…。

モラトリアム

学校をやめていわきに戻ってからは、いろんな仕事に就く日々でした。目標を見失なってしまったというか。

再びチャンスがあればまた東京に戻ってチャレンジしたいという密かな想いはあったのですが、モラトリアム(注:社会に出て一人前の人間になることを猶予されている状態)っぽい生活を、なんとなく続けました。

長男という身、家のこと、暮らしの先行き。このままじゃいけないと、ようやく考えるようになったのは、20代なかばになってからのことです。

人生ストーリーの大進展♪

弟は高校を卒業してすぐときわ会に入職し、准看護師として働いていました。空手道場で知り合った大垣さんからのすすめがあったこと、そしてまた祖父が患者として最期までお世話になったこと。そんな様々なご縁があって、ボクもときわ会に入職させていただくことになったのです。

まずはヘルパーとして仕事をスタート。職場の先輩からのアドヴァイスで、看護師になることを決意。ときわ会奨学生として、看護学校に2年間通わせていただきました。さらにもう2年間、山形の学校で学んで正看護師としての資格を取得、改めてときわ会で仕事をすることとなりました。

実は、山形の看護学校に在籍中に知り合った彼女と結婚することに。ボクはいわき泌尿器科で、彼女はいわき市内にある別の医療機関で、現在、夫婦ともに看護師として働いています。

目標を失なったモラトリアム生活からの脱却、正看護師としての資格取得。新天地である職場そして生涯の伴侶、その両方を一挙に得る人生の大転機となったのです。30歳のことでした。

廻り道ライフの財産

映画への道の挫折以降、20代のかなりの期間を、いわば廻り道しながら歩んできた人生。もったいなかったという想いがまったくないと云えばうそになりますが、その一方で、自分の好きなように生きてきたことが決して無駄ではなかったのかな、今ではそんな気がしています。

様々な分野で生きる人たちとの出会いや、そこで教えられてきたいろんなこと。そうした経験のひとつひとつが、現在自分自身のなかで財産になっているとも感じるのです。

ただひとつまっしぐら!というものがない人生ではあるのですが、逆にその分、ひとの気持ちがよくわかる。そんな「価値観の幅」が得られたのだとすれば、そのことをむしろ自分の持ち味にしたいと考えています。

患者さんから頂戴したお便り

看護師としての仕事がスタートした当初は緊張の連続でしたね、患者さんに対して医療行為を担当するということが。でも機械に向き合って仕事をするのではなく、人との間でのコミュニケーションという生き方が自分には合っているのだと思います。

前立腺などをはじめとして男性の患者さんが多い泌尿器科という分野。現在当院の病棟部門でただひとり男の看護師である自分が、多くの患者さんに心を開いて信頼していただくことのできる医療サービスの提供という観点から、同性だからこその特質を発揮していくことが大切なテーマだと考えています。

以前、ある男性患者さんが下半身麻酔による手術をお受けになった夜のこと。病室のベッドで排泄をなさってしまい、ボクがそのお世話をさせていただきました。看護師の仕事としてごく当然なのですが、その患者さんはそのことをずっと気にしておられたのです。

後日、退院なさったその患者さんからお便りを頂戴しました。そのなかに綴られていた、「ありがとう」というお言葉。ひとりの看護師として、心から嬉しいと感じました。

医療従事者としての知識や技術といった面はもちろんなのですが、自分自身としては、患者さんの「心」の支えとなることができるような看護を目指したいと願っています。

多趣味

以前はいわきの街から出ること自体ほとんどなかったのですが、最近はコンサートやショッピングなどで東京に遊びに行くことが多くなりました。

もともとボク自身はAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)と称される静かな雰囲気の音楽が好きだったんです。ボビー・コールドウェルやマイケル・ボルトン、ボズ・スキャッグスといったアーティストたちですね。

友達の影響で聴くようになったOasis(オアシス:イギリスの人気ロックバンド)も好きですし、家内とのCDのやりとりが交際のきっかけともなった、Boyz II Men(ボーイズ・II・メン:アメリカのヴォーカル・グループ)の来日公演にも、ほぼ毎年のように一緒に出かけています。

ショピングは原宿に行くことが多いですね。それとあと、旅行も。最近ハワイに行ってきました。家内は10歳年下(!)ですので、若いテーマについての関心がいろいろとあって、ボク自身も良い刺激を得ているような気がします。

演出家ならではのプロポーズ♪

その家内へのプロポーズ。決めるときにはバッチリ決めなきゃと、青山のイタリアンレストラン「エリュシオンハウス」を予約して、ふたりでディナーに。予めお店に伝えておいたんです、プロポーズのディナーだと。

コースの食事が終わって、ふたりのテーブルに運ばれてきたデザート。そのお皿には(ボクからの事前リクエストのとおり)チョコレートで綴られた「結婚しよう」のメッセージが。

この完璧無比なる素晴らしい演出が導いた、ハッピー・ゴール!(どうぞ末永く、お幸せに♪)

来年に子供が生まれるのですが、もし可愛い女の子だったら、(父親であるボクが、本人にかわって)オーディションに応募しようかなと、今からたくらんでいます(笑)。

シカゴにホームステイや留学をさせて、せまい日本のワクを超えた幅広い視野で、いろんなことを体験させてやりたいですね!